Fimmtudagur, janúar 15, 2004
ブッシュが2020年(早ければ2015年)までには人間を再び月に送り込むという計画を発表[NASAのリリース]。
浅知恵のついた大人になると,今年は選挙の年だしブッシュ必死だな(この発表の前には移民政策を変更してたりもするし)と,素直に昂揚できなくなっている自分に驚いたりもするのですが。
でも昂揚できない最大の理由は,月がまた人類の手の届く存在になってしまうからで。正直,月はほっといてほしいというか,アンタッチャブルな存在であってほしく。いつの日か火星なり木星なり,外の世界へ旅が出来るようになった時,月はその旅窓から眺めるだけ。何処にでも行けるからこそ,誰も足跡を残すことの出来ない地を設ける節度というか慎み深さが必要な気がする。
また和歌・俳句・童謡・小説・映画…,それらで題材となった地が開発の手によって今や見る影も無いという話をたまに聞くけれど,それを月にまでやってしまうのは…。物凄く大切な何かを失う気がするのは私だけでしょうか?。
ということで,火星より先に行くための中継基地としての機能が必要ならば,やっぱりルナツーを建造でひとつお願いします(そういえば,『ガンダム』はどうして月を使わずにルナツーだったんだろう?。物語に登場しないだけで,月面上にも一応何らかの施設は存在していたのだろうか?。それとも月を使わない特別の理由があったのか?。あ,なんかすごい気になってきた)。
その一方で2020年といえばあの1969年から50年…。まだ16年残っているけれど,その間,人間は一体何をやってたのかとも思ったり(と言ってる,自分ももちろん人間)。ここで何処かの国が頑張って,アメリカよりも先に月に行ってくれたら,かまびすしいことこの上ない例の月面映像捏造問題にも決着がつくのにね。