Föstudagur, nóvember 5, 2004
Back in Tokio

sjjBuildingザグレブからフランクフルト経由で帰国。

ドゥブロヴニクからはモスタル→サラエヴォ→ザクレブと北上。サラエヴォの景色にはさすがに色々と考えさせられたけど,それでもユーモアに溢れた表現を忘れていないところにとにかく惹かれる(『サラエボ旅行案内』のような)。今度はもっと余裕のある日程で再訪したい。

フランクフルトでは帰国便への乗り継ぎに4時間あったんで,久しぶりにPlaymobil魂に点火。さくっと入国してさくっとSバーンに乗ってさくっとvedesに行ってさくっとvedes100周年記念トラックの#4068を買って(希望小売価格39.99ユーロのところ特価19.99)さくっと空港に戻ってチェックイン。

これからこの半月を埋めるつもりではいるけれど,完成はいつになるのやら…。まぁ,ぼちぼちと。


Laugardagur, október 30, 2004
From Prague to Dubrovnik via Vienna

Costnicウィーン空港内のWireless LANより。
ここはコペンハーゲンのような認証も課金も無く,コンピュータの電源を入れたらすぐネットに繋がる素晴らしい所です(あ,もちろん無線LANカードは必要)。

で,プラハにいたわけですが,やってることは東京で休日にとる行動と何ら変わらず。古本屋行って,切手屋行って,骨董屋行って,オモチャ屋行って,美術館や博物館行って…。やっと骸骨教会も行くことが出来ました。

メメント・モリな旅も2/3が終了。
2時間後に憧れの城塞都市へ飛びます。


Fimmtudagur, október 28, 2004
Day08c(Vienna)

トラムの停留所からリングの外へ向かうと,シンメトリーで建つ巨大な建築ふたつ。目指すはその向かって左側,「美術史博物館(Kunsthistorisches Museum Wien)」(ちなみに右は自然史博物館。今回は時間の都合でやむなくパス)。

全館をまともに見たら1日かかっても廻りきれない収蔵品数。それを最長でも2時間で見ようってんだから無理は承知。切るものはバッサリ切り,絵画を中心に的を絞っての鑑賞。以下,思い出すままに羅列(タイトルは英語表記,またリンクは最初の2つを除いて全て美術史博物館オフィシャル)。

ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo)
『Fire』(www.illumin.co.uk)
『Water』(www.illumin.co.uk)
『Summer』

ベルナルド・ベロット(カナレット)(Bernardo Bellotto, called Canaletto)
『Vienna Viewed from the Belvedere Palace』
『The Imperial Summer Residence Schonbrunn: Court Facade』

ピーター・ブリューゲル(Pieter Bruegel)
『The Tower of Babel』
『Children's Games』

カラヴァッジオ(Caravaggio)
『David with the Head of Goliath』

ピーター・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)
『Ildefonso Altar 』
『The Lamentation』

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer "van Delft" )
『The Artists Studio』

そりゃ,ブリューゲルの『バベルの塔』には感動を越えて畏怖の念すら抱いたし,カラヴァッジオの黒は相変わらずの底無しで引き込まれそうに…。しかしそれでも何が一番と問われたら,やっぱりアルチンボルド。これが初めての実物体験,全体図として異形の姿はもちろん,ひとつひとつのパーツの細かい描写力,想像を遙かに越えた深みを持つ色彩…。ほんと,いつまでだって見ていられそう。更に言えば,これらがプラハの宮廷内で描かれていたというのも自分にとって興味を惹くところ。ルドルフ2世,たまらんすね。


041028c1大通りを渡ってリング内へ入り,だだっ広い庭園を進むとガラスのドーム建築が見えてくる。その一角が目指す「熱帯蝶類植物園(Schmetterlinghaus)」

温室特有のあのムワッとした空気の中,眼を凝らすと宙をヒラヒラと舞う蝶がそこかしこに。そこから目線を下に降ろすと,カットされたオレンジやバナナ,または造花につけられた甘味(白い粉だったので普通に砂糖?)にもワラワラと。なかには蛾の群れなんてのもあって,好きな人にはたまらない光景(そして苦手な人にもたまらない)。
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にしても,それら用意された甘味が余程美味しいのか,それとも完全に人間慣れしてしているのか,どこまで寄っても逃げるどころか羽ばたきひとつする気配無し。それならばと,デジカメの性能極限までレンズ面を近づけて接写。
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041028c5十分に蝶と戯れたので,宮殿の建物をグルリと一回りして次の目的地,「地球儀博物館(Globenmuseum)」へ。

入り口のカウンターには学生,もしくは助手といった雰囲気の女性が一人きり。彼女からチケットを買い,奥へ進むと,あるわあるわ。資料によるとその数,380個以上(地球儀の単位は「個」でいいのかどうか?)の地球儀。大きさ・年代・また月球儀や天球儀など地球儀以外のものまで多種多様なものが一堂に。

それらの中で惹かれたのは小さきものの数々。オブジェ感に溢れた地球本体のそのサイズはもちろんだけど,加えてそれを収めるために作られた専用の箱に激しくトキメキ。ただ収めるだけではなく,その裏側には天球が描かれていたりなんかして,そりゃもう大変っすよ。
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っつーか,もうその場で想像力の旅へと出発。地球を箱にしまいこみ,それをポケットに入れて街を歩く当時の学者。転んだか何かの拍子で地球が箱から飛び出しコロコロと。学者は追いかけるものの,大きな飴玉だと思った子供が口に含んでは吐き出し,そこに通りかかった馬車に蹴られ,ご婦人が仰ぐ扇で跳ね飛ばされ…,といった具合にエンドレス(オチは無し)。また月球派としては,月でこれを作ってみたいとも思ったり。

ちなみに,ここの開館時間はかなり短いので注意が必要。月~水と金曜が11:00~12:00,木曜は14:00~15:00と各曜日1時間のみ(今日は木曜ということで午後訪問)。また,2005年夏には移転も予定されているそうなので,そちらも加えてご注意。


地球儀博物館を出てそこから前方に数十m進むと,いよいよ最後の目的地,「国立図書館(Osterreichische Nationalbibliothek)」「大広間(Prunksaal)」

良くも悪くも威風堂々・豪華絢爛。奥行き80m,高さ20mという大空間,天井のフレスコ画,ホール中央に立つ像,ふんだんに使われた大理石…。もちろんひとつひとつ見ていけば,そのどれもが素晴らしい技巧を施されたものであることはわかるんだけど,スケールが大きい分,どうしても大味に見えてしまう。ストラホフ修道院が小さいながらも(もしくは小さい故に)細部に宿る魂を強く感じられるのとは明らかに異なる印象。しかし一方では,これだけのスケールだからこそ,訪問者は自由にこの空間を歩きまわりその驚くばかりの空間体感ができるわけで。これは入室が禁じられ,扉の外から眺めるだけのストラホフでは決して味わえないもの(ストラホフは足を踏み入れられないことが逆に神秘性に繋がって良いという考え方も出来ることは出来るけど)。

なんてことを考えながらもバシャバシャ写真を撮り続けていると(デジカメが無念のバッテリー切れで銀塩モノクロのみに),梯子階段に登って棚の書籍を整理していた白衣の書士が,何冊かの蔵書を手に梯子階段を下りて歩き始める。何処へ行くのかと眼で追うと,ある棚の前で立ち止まり不意に何かに手をかける。するとその棚が手前へと開き,その向こうに空間が現れたではないですか。近くに寄って中を覗くと,背の低い書棚やテーブルなどが見える。これはやっぱり作業場?。ストラホフも含め,表側の美しさに気を取られて,バックヤードの存在を完全に忘れていたよ。自分にとって,これはかなり重要な経験。
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041028c10幾つかの取りこぼしはあるものの,とりあえずこれで当初の予定ルートを一回り。ここで時計を見ると,プラハへと戻る鉄道の発車時刻まで1時間あまり。シュテファン大聖堂を再訪してみるか,それとも古本屋巡りをしてみるか…。しかし色々と考えた末の結論は名物料理ポークシュニッツェル。DEMELでザッハとコーヒーを口にしただけで腹減ってんのよ…。オペラ座近くのカジュアルな店,次から次にテイクアウトで訪れる地元の人々を掻き分けて店内でガッツリ。


腹も満たされたところで,トラムに乗ってWien Südbahnhof駅へ。そのままホームへと向かい,既に入線している列車(その名も「スメタナ号」)に乗車。定刻16:34に出発。途中,滞りなくパスポートコントロールも済み,20:55にPraha hl.n.駅到着。やっと戻ってまいりました。


Fimmtudagur, október 28, 2004
Day08b(Vienna)

Narrenturmを後にし,キャンパス内を抜けて大通りへと出る門へ。するとそのすぐ隣が次の目的地である「医学史博物館(Josephinum)」。

041028b1ここの訪問目的は解剖学用人体蝋標本の鑑賞。この手の展示の代表格と言えば,まずはフィレンツェの「La Specola」が挙げられると思いますが,何のウィーンだって負けてない。と言うか,ここの蝋標本を製作したのは当の「La Specola」の工房。時の神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世(ちなみに昨日のNarrenturmを設立したのもこの人)が「La Specola」の蝋標本に感銘を受け,同じようなものをウィーンにも欲しいということでオーダーしたとか。しかも収蔵数で言ったらこっちのほうが多いってんだから,そりゃ胸の期待も高まるってもんです。

その他,より詳しいことは以下の書籍をご覧いただければ。

『世界珍紀行』 都築響一
『Anatomie als Kunst』 Manfred Skopec, Helmut Groger, Alexander Koller

博物館への入り口は左右に棟が広がる建物の右翼側。そこから階段を登ると,まずは施設名の通り,医学史に関する展示から。各年代の医療機器,世界で初めて切除・摘出された胃等々。

一回りしたら階段の踊り場を挟んで向かい側へ。開けようとしたその扉には「Wax Models」の文字。いよいよのご対面。

入るといきなり仰向けに横たわる開腹された女性の裸身。頭髪は人の本物を植毛,首には真珠の首飾り(こちらはイミテーションっぽい)。部屋を見渡すと壁に沿って人体の各部位毎に詳細な標本がびっしり(ちなみに解剖学用なので,全て実物大で製作されています)。標本それ自体はもちろん見応え十二分なんだけど,更にそれらが収められている飴色の木枠にガラスがはめ込まれたケースも美しい。また壁沿いの標本は全て,鑑賞しやすいように斜め上を向いた形。

次の部屋へと移動すると,今度は皮膚が剥ぎ取られ筋組織の上に血管が縦横無尽に巡っている男性の全身像。でも,なんかポージングが不自然。横向きで片肘をつき,もう片方の腕は上げられ,そして視線は空を見つめている(後で調べたら,当時それと同じ解剖画があったらしい)。しかもその標本の真ん前にはポツンと一脚の椅子が。これはやっぱり座れってことだよなということで,しばし腰を下ろして対話。お前も皮一枚剥げばこんな格好してんだぜ。っつーか,俺がお前でお前が俺なんだよと言われているような…。

最も奥の部屋にはレイヤーのように内部組織の剥ぎ具合が異なる6体の男性全身モデル。何に驚いたって睾丸と体幹との接合位置。腰骨の最上部辺りからぶら下がってんのね。

結局,全部で6室。そりゃもう言うことなし。1日中,ここと「Narrentrum」を行ったり来たりしていたい…。

ムービーも見つけたので,この手のものに耐性のある方はどうぞ。
「Vienna : Josephinum, anatomical wax figures」


博物館を後にしてリング内へ,そこから更に中心街へと歩を進める。ここで時計を見るともうすぐ昼,濃密な午前を過ごしたのでここらでひとまず休憩。そこで向かったのはベタにDEMEL。当たり前だけど原宿店とは比べ物にならない威厳漂う店内。気圧されて正直,落ち着かねぇ…。奥のカフェ,若干うつむき加減でザッハトルテをコーヒーで流し込む。

041028b2それでもなんとか店内を見回すと,店頭販売している各種商品のパッケージデザインに視線を奪われる。幾つかの有名どころ(猫ベロとかとか)を除けばそのほとんどが初めて眼にしたもので,そのどれもがいちいち素晴らしい。なかでもオリエンタルテイストのモノにグッときて,中身は全く意に介さずただ箱が欲しいというだけで幾つか購入。画像は竹を模したバンブーチョコ。

パッケージを眺めすぎて気がつきゃ結構いい時間。ということで次の目的地「シュテファン大聖堂(Stepahnsdom)」へ。目指すはその地下。ハプスブルグ家歴代皇帝の内臓(心臓だけは別の場所に安置)を納めた壺,そしてコストニツェ同様,ペストによって命を失った人々の骨々がこれでもかと置かれているらしい。が,中に入るとちょうどミサの時間。詰め甘っ…。異教徒の身では当然立ち去るしか術は無く,残念ながら今回の旅では謁見すること叶わず。

気を取り直して次,アドルフ・クリシャニッツ(Adolf Krischanitz)の中央郵便本局。アーチ型の列柱が並ぶ壁沿いに備え付けられたカウンターが美しい…。はずが,その姿はどこへやら,レイアウトが変更されていて壁沿いのカウンターは閉鎖され,その内側のオープンスペースに新しいカウンターが無造作に並べられている。改修などによる何らかの臨時的措置なのか,それとも恒常的にこの平面プランになってしまったのか,往時の面影全く無しでガッカリ…。

更に悪いことは続く。よほど落胆したのか,すぐ近くに建つ次の訪問予定地,オットー・ヴァーグナー(Otto Wagner)の中央郵便貯金局(Postsparkasse)を素通り。いやほんと,完全に忘れてた…。

041028b3次なる目的地へ向かうためトラムに乗車。ぼんやりと外を眺めていると,露出度の高いコスチュームで銃を構えるブロンドの女性のポスターがやたら貼られていることに気が付く。十数分後,下車した停留所にもあったのでよく見ると,そこには『Barbarella』の文字。この姿でこのタイトル,何,いつの間にドリュー・バリモアのリメイク版が完成したのよと思って更に見入ると,これがウィーンで上演中のミュージカル。んー,確かにあの破天荒なストーリーはミュージカルに適していそうな気がしなくも。しかもクレジットの音楽監督にはDave Stewart(ex.Eurythmics)なんて名前も(本当はDuranDuranにお願いしたいところだけど),話のタネとして見ない手はない。でもやっぱり時間がない。あぁ,もう1泊できたら…。


Fimmtudagur, október 28, 2004
Day08a(Vienna)

チェコが祝日ということで,ウィーンへと足を伸ばすことにしたのは前日に書いた通り。でも,数多ある近隣諸国の都市の中で何故にウィーンなのか?。

ひとつは世界で最も美しいと言われる図書館の存在。昨日訪れたプラハのストラホフ修道院と比較する意味でも絶対に見ておかねばならぬ。

そしてもうひとつのきっかけは二冊の本。都築響一『珍世界紀行』とゲルハルト・ロート(Gerhard Roth)『ウィーンの内部への旅』(『Eine Reise in das Innere von Wien』)。正直,全く関心外の都市だったので,クラシックやオペラなどという書いてて恥ずかしくなるイメージしか抱いていなかったウィーン。しかしその懐には底知れぬ暗部(と同時に笑いも少々)を抱いていることを教えてもらいました。

7:30にはホテルをチェックアウト,トラムに乗ってまずは「病理・解剖学博物館(Narrenturm)」へ。ウィーン大学構内にあるこの博物館は,バームクーヘンのように内部をくりぬいた円柱形の建物で,元は精神異常者を収容する療養所。誰が呼んだか,その通称「愚者の塔」(訳し方は色々あるだろうけど,「Narrenturm」というドイツ語がそもそもそういう意味)。
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中に入るとそこはかとなく甘い香り。これはやっぱり標本を浸したホルマリン?。期待と不安が入り混ぜになりながら歩を進めると出てくる出てくる。香りの元である各種器官の納まった硝子瓶,古い医療器具(牛若丸『funktion』を思い出す),極端なまでにせむしな骨格標本,各種性病にかかった男女性器の模型(梅毒で鼻がもげた顔の模型含む)…。更にはそんな看板に偽り無しな展示に混じって,この建物の図面を用いたコラージュやドローイング,そしてなぜか錬金術師のヴンダーカマーなんてものも(確かに「病理・解剖学」のルーツとして辿れないこともないんだろうけど…。それにしてはあまりにも唐突)。

041028eしかし最も目を惹かれたのは水頭症で頭部が異常に肥大した子供の骨格標本。常識では考えられないその大きさに驚いたのはもちろんだけど,それ以上にそんなアンバランスなプロポーションで,見る者にある種の恐れを抱かせる姿でありながらも可愛ささえ感じさせる全体のポージングがツボにはまる(画像は後に記す絵葉書から)。なんで右足のつま先を上げてんのよ?。っつーか,それ,狙ってやってるでしょ?。

そうやって幾つかの小部屋を巡回している内に,突然自分の現在地がわからなくなる…。冷静に建物の平面図を思い浮かべると,バームクーヘンの内周に沿って回廊があり,そこから外周に向かって放射状に幾つも小部屋がある。つまり回廊から小部屋,そこを出て回廊を進み隣の小部屋という反復運動を繰り返した結果の方向感覚喪失。この展示物にこの建築の構造は完璧。ヘタするとバベルの塔のように回廊がスロープになっていて,このまま永遠に登り続けて展示が終わらないような悪夢まで見てしまいそう。

しかし現実は一周したら無事入り口に戻って一安心。それでも疲労感(もちろん満足感も計り知れないけど)は拭えず,バームクーヘンの内部である中庭へ出て一休み。と思ったものの,そこがまた目を見張る空間。剥げ落ちた壁,鉄格子のはまった窓,鉄の扉,そして切り取られた空…。かつてここで生活をおくっていた方々がこの空を見て何を思ったのか?。そんなことにふと想いを馳せる…。
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気がつけば2時間近くも滞在。次の予定も詰まっているので最後のミュージアムショップ(と言っても非常に小さいもの)へ。パンフレット,例の頭部肥大のお子様骨格標本の絵葉書,そして頭蓋骨がプリントされたマッチなどを購入。レジを打つのは白衣姿の好々爺。もしかしたら立派な教授様なのかも…。
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ちなみにここの開館時間はかなり変則的で,水曜15~18時,木曜8~11時,そして毎月第一土曜の10~13時のみ。今日は木曜,ということで朝イチでいきなり訪れたというわけでした。訪問を計画される際は御注意を。


Miðvikudagur, október 27, 2004
Day07(Prague, Vienna)

今回のプラハ探索は4年前の初訪問時に足を運ばなかった(運ぶ時間がなかった)ところを巡るのが行動基本原則(頑なに守る気はなかったものの,結局カレル橋に一歩も足を踏み入れなかったのには我ながら驚いた)。今日もその流れで行動開始。

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Þriðjudagur, október 26, 2004
Day06(Prague, Konopiště, Kostnice)

いよいよ今日からメメント・モリ実地検分(見聞)開始。

最初の目的地はかのFranz Ferdinandが居城としていたKonopiště(コノピシュチェ)城。早朝,Praha hl.n.駅(「hl.n.」で中央駅という意味なんでそれに「駅」をつけるのはおかしいんだけど(「Meiji Dori Avenue」と同じ違和感),つけたほうがひと目で駅だとわかるということで)を出発。のどかな田園風景の中を約1時間弱,Benesov u Prahy駅に到着。

しかし到着したはいいが,そこから目指す城への道がわからず。案内板に従って歩くも途中でそれが無くなったりで微妙に迷った挙句,ならばいっそタクシーを使ったほうがいいという結論に(乗りながら道を覚えれば帰りには歩いて戻ってこれるし)。駅まで戻ってタクシーを拾い乗ること約5分,あっという間に城に到着。
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ここは観光客自身による自由見学は不可(ちなみに写真撮影も不可)。3種類の決められた見学コースからひとつを選択し,それぞれガイドに従って歩いて廻るのみ。受付で所望コースを告げると,そのコースの英語ガイドは16:30まで予約で一杯だと言われる。朝一で到着してんのになぜ一杯…(ツアー客の予約だろうけど)。この後の予定も詰まってるし,また説明の言葉よりも眼に入る景色のほうが刺激的に違いないということで,やむなくチェコ語のツアーを選択。

しかしその先に待っていたのは望外の幸せ。集合場所に現れたガイドは深緑のコートに身を包んだヘザー・グラハムそっくりの女性。その容貌とこの先に待つ景色を想像したら『ツイン・ピークス』のアニー・ブラックバーンがオーバーラップ。しかもこの回のツアー参加者は我々2人のみ。あぁ皇太子,アニーを独占できる機会をありがとう…。ちょっとつたない英語(ドイツ語・イタリア語など5ヶ国語を話せるものの英語は苦手という彼女に無理を言って英語での解説をお願い)もまた可愛くてたまりませんことよ。

いよいよ城内へ。彼女の後ろについて階段を上がると早くもその壁にギッシリと小鹿の角。否が応でも増す期待感を胸に更に階段を上がり,そして広い廊下に出ると…。一昨年,小石川で開かれたMark Dionの展覧会「Microcosmographia-マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」に行った人なら覚えているかもしれない,あの廊下の壁の一部にかけられた十数頭の鹿の角。あれをあらん限りの想像力で大規模にしてもらえれば少しはその異様さが伝わるかも(撮影禁止のはずなのに,どっかのサイトに画像あったんでリンクしてみる)。とにかくおびただしい数の鹿の角,そしてありとあらゆる獣達の剥製。ものの本によると,ヨーロッパはもちろんインドにまで狩りに出かけ,その仕留めた総数は30万頭にも上ったとか。それだけ殺せばサラエヴォであんな目に遭っても因果応報だよなぁなんてこともふと思ったり…。

ガイドの女性と時間を共有すること約1時間,ついにお別れの時。今度はチェコ語をしっかりマスターして再びあなたに逢いに来ます(城を見に来るわけではない(バカ))。

往路の予定通り,城から駅へと戻る復路は徒歩で。色づいた落ち葉を踏んだり舞い上げたりしながら(この時期のヨーロッパも綺麗なものね)30分ばかり歩いて到着。既にホームに入っていたPraha hl.n.駅の列車に乗り込む。

1時間後,Praha hl.n.駅に到着したら今度は反対方向へと進む電車に乗り換えて同じく約1時間のKutna Hora hl.n駅へ.。そこから歩くこと約15分,骸骨教会Kostnice(コストニツェ)へ。
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ここの存在を知ったきっかけは何だったか?。今ではちょっと思い出せないんだけど,とにかくこの眼で確かめたくて堪らなかった場所(ちなみにシュヴァンクマイエルのファンにとっては彼の短編作品のひとつでお馴染みの場所。でも自分は後から知ったからなぁ)。昂揚感と共に教会内へ足を踏み入れるとチケットを売っているのは10代半ばと思しき少女2人。放課後のアルバイト?。少女と骸骨,別の意味で昂揚…。

チケットを買って教会内部へ視線を向ける。たまらんすね…。ここまでの数(約4万体)になると怖いとか気持ち悪いとかおぞましいとか,そういった死を忌み嫌う感情の一切が消え失せて明るく楽しい心持ちに。っつーか,自分の遺骨もこの中にポンと無造作に置いてほしいもんです。それにしてもこの日のためにビオゴン 21/2.8(CONTAX G1用レンズ)買って良かったぁ。モノクロフィルムを用い,ここまで入るかって画角で前も後ろもカッキリのパンフォーカス撮影。時の経つのも忘れてバッシャバッシャとシャッター押しまくり。
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一旦休憩ということで階段に座る。そこでふと入り口のほうを見上げると,さっきの受付の少女2人がそろって真っ赤なチュッパチャプスを舐めている…。ゴスッ娘ここに極まれり。写真に撮りたかった…。

最後にひとつ気になったこと。人骨で作られた,かつてこの地を治めていたオーストリア貴族,シュヴァルツェンベルク家の紋章の第4クォーター。鳥が波平みたいなチョロチョロ髪(4本)をつけた髑髏の眼をつついてるんだけど,その小馬鹿にした風貌もあって,てっきりこの場所ならではのジョークだと思ってたところ,後日調べてみるとオリジナルの紋章そのままらしい。ググって見つかったあるサイトによると,弁髪のトルコ人(あのチョロチョロ髪はそういうことだったのか!)をついばむワタリガラスだそうで…。
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時間があればクトナーホラの街も見たかったけれどそれは叶わず,駅へと向かいプラハへ戻ることに。帰りはPraha Sumichov駅に到着。宿には直帰せず,そこから地下鉄でAndel駅へ。その上に立つジャン・ヌーベルによる商業ビル「Praha Andel」をじっくり。そのファサードには『ベルリン天使の詩』に登場する天使の姿がシルクスクリーンで描かれ,またチェコ語で天使に関する詩も記されている。
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最後にチェコの鉄道について覚え書き。
往復で切符を購入すると割引有り。例えば最初に乗ったPrague hl.n.駅からBenesov u Prahy駅の運賃は片道64Kc。しかし最初から往復で買うと74Kcとなり,片道x2の128Kcに比べると40%以上もオフ。頻繁に乗らないんだったらKarta Z(割引カード)を作るよりもいいかも。


Mánudagur, október 25, 2004
Day05(Prague)

プラハと言えば,浦沢直樹『Monster』の主要舞台。もしくは,野宮真貴がピチカート・ファイブ以前に在籍していたバンド,portable rockの佳曲『Golem Polka』(文字通り,プラハでゴーレムがポルカを踊る歌。随所で鳴り響くオケヒットに時代を感じます)。

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Mánudagur, október 25, 2004
From Reykjavík to Prague via Copenhagen

コペンハーゲン空港内のWireless LANより。
なんとか体が持って大陸に戻ってきました。

Skypeが素晴らしく役立ってます。これ無しでは旅が出来ないくらい。

そして,やっぱり諸々は後々。


Sunnudagur, október 24, 2004
Day04(From Reykjavík to Prague via Copenhagen)

5時に起きて市内のバスターミナル,そこからエアポートバスに乗って空港へ。7:45,離氷,コペンハーゲンへ。

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Laugardagur, október 23, 2004
Day03(Reykjavík)

今日は午前中に目が覚めました。

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Föstudagur, október 22, 2004
Day02(Reykjavík)

いつ寝たのかもわからず,気がついたら昼過ぎ。

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Fimmtudagur, október 21, 2004
Day01(From Tokyo to Reykjavík)

lufthansa最初はアイスランドに行くつもりはなかったとか,意味もなく久しぶりにルフトハンザに乗りたかったとか,でも一番安いチケット(ユーロマンティック35)だとプラハが適用範囲外だったとか,様々な迷いの果てに決定した今回の日程。その結果,いきなり成田(NRT)→フランクフルト(FRA)→コペンハーゲン(CPH)→ケフラヴィク(KEF)という荒行苦行。朝の7時に家のドアを開け,ケフラヴィク空港の外に出たのが丸々24時間後の現地時間同日21時過ぎ(そこからレイキャヴィク市内まではエアポートバスで更に1時間近くかかるんだけど)。

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