東西周回御挨拶
旅先ではこまめに走っていたけれど,日常は内的・外的要因含めて相変わらずのサボリ気味。振り返ると2ヶ月ぶりの皇居ラン。自分が廻るマニ車とでも言えるのか,ほんとこの気持ちよさは何なんですかね。背丈の伸びた植栽の姿に季節の移り変わりも。
旅先と言えば先週,京都御所の周囲を丸々一周ランニング(方向はやはり左回りで)。これで東西共にご挨拶。いつものように走行ルートのGPSデータも記録。google earthで表示。
六月の声を聞く前に今年の浴衣を注文。
昨年はお休み,そして一昨年は京呉館(金子國義)のUFOと大冒険をしただけに(さすがに着る場所を選びますね),今年は落ち着いて竺仙で表を竹に裏を燕に。仕立て上がりは二週間後のお楽しみとして,あわせて購入した麻の組紐角帯だけを持ち帰り。その帰り際,お世話いただいている店員の方に角帯を一本頂く。いつもひとつ買うとひとつ貰っているような。ありがたいことです。
UFOつながりでひとつ。
昨年夏,日比谷野音で開かれた細野さんの「細野晴臣と地球の仲間たち~空飛ぶ円盤飛来60周年!夏の音楽祭~」。そのオープニングで流れたUFOを呼ぶ儀式で唱えられる言葉「ベントラベントラ スペースピープル〜」が気になって,アルバムタイトルが『衝撃のUFO』というところまでは掴んだもののそのまま放置。しかし,それが今になって家庭内でブーム再燃,辛抱堪らず購入と相成りまして。
横尾忠則のジャケデザインはもちろん,その内容も全編素晴らしいことは言うまでもないのですが,なかでもUFOとの遭遇体験を語る好々爺がツボ。噺家(敢えて言えば十代目 桂文治?)のようなべらんめぇ口調と,話される内容との激しいギャップ。是非とも青樹亜依『アンドロメダの異星人』とあわせてお聴きいただきたく思います。
旅先ではこまめに走っていたけれど,日常は内的・外的要因含めて相変わらずのサボリ気味。振り返ると2ヶ月ぶりの皇居ラン。自分が廻るマニ車とでも言えるのか,ほんとこの気持ちよさは何なんですかね。背丈の伸びた植栽の姿に季節の移り変わりも。
旅先と言えば先週,京都御所の周囲を丸々一周ランニング(方向はやはり左回りで)。これで東西共にご挨拶。いつものように走行ルートのGPSデータも記録。google earthで表示。
「スティーブ・ライヒの音楽 Music of Steve Reich」
オペラシティコンサートホール
『Drumming (Part 1)』
『Proverb』
『Music for 18 Musicians』
龍が昇っていく幻覚すら見えたような『Drumming (Part 1)』の最初の一音で今夜の幸せを確信。『Proverb』では人の声の美しさを再確認。
そして『Music for 18 Musicians』。約1時間,増えて減って重なりずれる。ありきたりに過ぎるけど,動作が見えるだけにCDではわからなかった音が鮮明に聞こえてくる。
人生の思い残しがまたひとつ減った夜。
高校生の自分に「やっと生で聴けたんだ」と報告したいよ。
オペラシティコンサートホール
「スティーブ・ライヒの音楽」
『Drumming (Part 1)』
『Proverb』
『Music for 18 Musicians』
配置転換,アイコンタクト,そしてその際に時折浮かぶ笑顔。人間が演奏しているという当たり前の事実に感極まる。『Drumming (Part 1)』では演奏者同士のマレットがぶつかる音までもが愛おしい。
『Music for 18 Musicians』。心躍るのはCDで聴いていたのと同じSection Vから。一音ずつ増えていくピアノを数え続ける昂揚と,それがパルスに溶け込む瞬間の陶酔。両足を広げて振り続けられるSection VIのマラカスの存在感はCDではわからなかった発見。
意外なまでに若い聴衆層もあってか,叫び声の飛び交うスタンディングオベーション(誰も「ブラボー」なんて言いやしない)。それでもこの演奏を体験した後では自然な感情の発露として全くもって正しく思えてしまうから不思議。作法を超えた原初の行動欲求。これが野外フェスだったら踊る姿も見られたかも。
なかの芸能小劇場
三遊亭たん丈 金田一探偵事務所
春風亭栄助 あの姉妹
立川らく里 落武者峠
寒空はだか
お仲入り
三遊亭ぬう生 選挙ホスト
林家きく麿 ロドリゴ
アパッチから学園へ。
それが今まで最も苦行のせめ達磨になろうとは。
はだかちゃんがいてくれてよかった。
エルメスギャラリーで,最終日のSarah Sze展。
何度訪れても新たな発見。広大な世界の中に数多く存在する微少な世界と,そこで同時多発的に繰り広げられる秩序と混沌。現出した『塊魂』。
思考と行動のエアポケットに入った瞬間,十和田市現代美術館で覚えた自分でも驚くばかりの憤りが首をもたげる。そこで浮かんだひとつの解は,美術館は寄席の定席だと考えれば良いのではと。
動線に従って巡る常設展は,さしずめ番組表に沿って次から次と高座に上がる噺家を見るようなもの。全ての噺家が心の琴線に触れるわけがないのと同じように,美術芸術だって相性の良し悪しはあろうものよ。そう,今回はたまたまあわない噺家が多かっただけの話。それでも寄席同様に予期せぬ嬉しい出逢いもあったのだから,その他大勢を酷いと嘆くよりも,素晴らしいと思った作品と作家を今後は追っていけば良いだけ。そう,寄席で興味を惹かれた噺家の独演会に足を運ぶ流れと同じ。
独演会と言えば。
常設展を寄席の定席と考えるならば,特別(企画)展は同日同場所で開催されている独演会。己の嗜好を知った上で足を運ぶ/運ばないを選ぶものだけに,未知なるものとの邂逅を求める気持ちが強すぎてもいけないのかも。また,せっかく訪れたのだからというもったいない意識も良し悪し。関心が無いのであれば見ないという選択も時には有効であることも今回の収穫。
雨の中,桜木町まで。
桂ちょうば いらち俥
桂三若 ひとり静
笑福亭岐代松 手水廻し
笑福亭福笑 千早ふる
お仲入り
笑福亭鶴笑 パペット落語 立体西遊記
笑福亭福笑 もう一つの日本
お目当てはもちろん福笑師匠。ようやく高座を拝見できました。時折のぞくダークサイドがことごとくツボ。
お目当て以外もまた楽し。なかでも笑福亭鶴笑師匠との邂逅は予備知識無し故のファーストインパクトを抜きにしても強烈に過ぎる。
横浜と大阪,どちらが近いと言われれば,やっぱり横浜。東京-新大阪の約1/3の時間で「横浜にぎわい座 第十七回 上方落語会」到着。
皆さんお初の中,お目当てはもちろん笑福亭福笑。高座を拝見することが出来ただけでも満足なくらいだが,サゲに向かって仕掛けをはり続ける『千早ふる』,指数関数的にどこまでもテンションが上がり続ける『もう一つの日本』,そのどちらも笑いが絶えず。ときおり顔を覗かせる黒い一面もまた好み。師匠と弟子,どちらも好きという組み合わせは多いけれど,福笑・たまはその中でもちょっと抜きん出た感あり。
その他の方々もファーストインパクトを差し引いても素晴らしい出会い。上方なので上野ではなく梅田に向かう,桂ちょうば「いらち俥」。”寝起きのジュリー”桂三若(確かに似てたなぁ)の大阪人独り舞台「ひとり静」,そして器用富豪とでも表現したらよいのか,次から次に繰り出される手作りの飛び道具に唖然となった笑福亭鶴笑「パペット落語 立体西遊記」(林家しん平との東西器用富豪二人会が見てみたい。演目は孫悟空vs骸骨かっぽれで是非)。どこまでも貪欲に笑いを狙う姿勢の数々,知らない世界はまだまだある。
初めて盛岡以北の新幹線に乗り二戸。そこから車で九戸→三戸→八戸。更にここまで来たのならばと十和田まで。
十和田市現代美術館。
作品・建築・人(スタッフ・来場者),そのどれもが何か浮き足立っているような感覚。全てがもう少しこなれてから足を運ぶべきだった。
それでもHans Op de Beeck「Location (5)」との出会いは唯一にして大きな幸せ。漆黒のダイナーと窓の外に広がる無機質なハイウェイ。『ロスト・ハイウェイ』を思わせるアメリカン・ノワールな景色。自分がアートに求めているのはやっぱり空間体験なんだ。白く軽い建築の中に黒く重い世界が内包されている対比と差異の強調もまた。
最後にカフェで一休み,幅の狭い通路からドアを手前に引いてトイレへ。外へ戻る際,ドアを押そうと手を伸ばすとそこには一枚の貼り紙。「ドアの外に人がいます。静かに開けてください」。確かにあの幅の通路で押して開ければぶつかるかもね。最初から横引き扉にするのではなく,他者をおもんばかる気持ちを喚起させる。その建築的配慮,有り難いことです。