過日,知人宅にて利きチーズの宴。
集いし中にパリからのお客人。
何か話さねばと自分の中にある彼の都市への知識から精一杯に振り絞って選んだ会話の発端。
「いつかはデロールに足を運びたいんです」。
ただパリというだけでお客人の背景も知らずにいきなりそれかよ。当たらずとも遠からじ,自分が「アキバのメイドカフェに行きたいんです」と言われるようなものじゃないだろうか。ところが,これはやっちまったかと身構える間も無く,先方から放たれた言葉に我が耳を疑った。
「デロール,火事で焼けたんですよ」
これほどの寝耳に水もあったものかと。調べると,オフィシャルのサイトにしっかりと記載されている。しかも半年以上も前の2月のこと。アンテナにもRSSにも登録していないからこんなことになるんだよ…。
馴染みの無いフランス語をgoogleに頼んで英語へと訳してもらい(日本語訳はさすがに超訳が過ぎて),事の次第を追いかける。
・火事当日の模様
・火災前/火災後の店内の様子
原因は漏電,出火場所である2階はほぼ全焼。写真では2階の窓から外に向かって勢いよく伸びる炎,また黒く焦げた部屋の様子なども事細かに窺える。そして,その部屋には焼けただれた剥製標本の姿。永遠のはずであった命を失ったその行き先は?。遅きに失したどころか何ら接点もないことを承知で,廃棄するくらいならくれ。
幸いにも修復は進んでいるらしいが,依然作業中の部屋も幾つか。
こりゃね,やっぱりね…。
剥製標本は二度,息を引き取る はコメントを受け付けていません
早くに目が覚めた夏の朝は酒と蕎麦に限ると足を運ぶも,案の定の満員御礼。外で待つには絶好の曇天日和とはいえ,快楽のためにそこまで我慢強くなれるはずもなく,踵を返して麦茶と素麺。
朝の仇は昼にとる。ゆるゆると出かけ,名称復活となった圓朝まつり。早々に栄助さんから真打披露興行の前売を購入する務めを果たすことが出来たので後は呑むだけ。「立呑屋文左衛門」,「柳田カクテル之進」と梯子をしながら辺りを見回すと,そこかしこに見知った顔。お互い,コップ片手に呑んで語って。
途中,酔い覚ましも兼ねて中抜け。三の丸尚蔵館「帝室技芸員と1900年パリ万国博覧会」。4期連続の1期目。仮想建築としての図面を描いた伊藤平左衛門「日本貴紳殿舎計画図」をじっくりと。西洋的なパース図と日本の意匠が描かれた襖や格子も精密な立面が興味深い。仮想ならばいっそCGで建ててみるの面白いかも。次回,第2期はお待ちかねの橋本雅邦「龍虎図」。
午後,都々逸の講評にあわせて祭に戻るも,それが終われば同じことの繰り返し。一つ所に腰を落ち着け,酒とお喋りで最後まで。なんて贅沢な雰囲気の呑み会なことか。
帰途,往来堂に寄ると「三冊屋」開催中。てっきりabcや三省堂でばかりと。
大銀座落語祭だけは,ただただ小朝にありがとうございます。
昨年の「柳家喬太郎におまかせの会」に負けずとも劣らず,今年はまさかの福笑・たま・喬太郎の揃い踏み。
「柳家喬太郎と上方落語 その一」
立川こはる 真田小僧
笑福亭たま 胎児
柳家喬太郎 ほんとのこというと
お仲入り
笑福亭福笑 絶体絶命
柳家喬太郎 純情日記 -横浜篇-
終わってみれば,純粋な上方落語とのやり取りと言うよりは,キョンキョン vs 福笑一門の東西新作(創作)対決。そして,この場をかっさらったのは紛れも無く福笑一門。弟子のたまが彦いちばりの肉体芸を見せれば,師匠の福笑はお手洗いが見つからずにもがき苦しむ女性のラブストーリーという不条理。そりゃもう,下品でえげつなくてひどすぎますわ(誉め言葉)。それでも,巧みな登場人物の描写と対比で最初から最後まで笑わせるその魅力。聴きながら東の名作,三遊亭円丈『肥辰一代記』を思い出す。これは是非とも東西下品対決を聴きたいもの。
一方の相対するキョンキョンは,独演会直後で抜け殻という発言もふまえると無難に返したというところか。どちらも安心して身を委ねられる噺で面白かったのは確かだけれど,客なんて勝手なもの,福笑の挑発(キョンキョンの言葉を借りると,「あの人,私を出にくくしてやると言って高座に上がったんですよ」)に真っ向勝負を挑んでほしかったところ。そうだなぁ,『一日署長』で両名をいじり倒してくれたら素敵だったのに。
さて,今席は鈴本昼でキョンキョン主任。
次の土日しか考えられないけれど,何とかね。
大笑福亭福笑一門落語祭 はコメントを受け付けていません
朝早く,山を降りて京都→名古屋→三島と電車を乗り継ぐ。
富士山の東側,湖に近い宿に車を止めた頃には,日も傾き始めるかという時間。
ここを訪れるのは六・七年ぶりか。
本やCDはもちろん,万華鏡や鉱石などのオブジェもそのままに。
しかし,せっかくの集いも,ここ数日の蓄積疲労には抗えず。
夕食時のアルコールも加勢し,遠くにピアノの音色や花火に興じる歓声を感じながら眠り続ける。
巡行も見ずに南下し,紅天女の郷。
こちらもまた大層な人の出。元々が狭いところだけに尚更。加えて朝豪雨,昼熱射,夜満月と,空の出もこれまた結構なもの。
奉納の舞や演奏を遠くに聞きながら,温泉と酒に浸ってゆっくりの二日間。
Mark Dionの作品が展示されているという噂を聞きつけ。
Ecosophy
東大小石川以降の作品を期待したものの,展示されていたのはそれ以前のもの。まさにその小石川で見た化石のパロディには懐かしさを覚えたが,本物に混じって置かれていたあの場だからこそ沸き立ったユーモアがここでは感じられず,ただアイロニーだけが。展覧会の趣旨から外れた見方をするこちらに非はあるのですが,それでもね。
帰途に寄った書店でBRUTUS最新号「博物館♡ラブ」を。
巻頭いきなりの東大博物館。本郷は「鳥のビオソフィア」に始まり過去の展示を振り返り,小石川は現在の展示をMark Dionにまで遡り紹介。なぜ今?という気持ちも無きにしもあらずだが,それでも読むべき内容の多さに満足。そう言えば,新しいNADiffで,東大の展示を再構成した上田義彦の写真展も開かれることも。
インタビューと共に掲載されている西野嘉章氏の研究室。そこに置かれたオブジェの傾向に,これは漆原教授の研究室じゃないかと(あっちは全く片付いていないけど)。
蝦夷の民ゆえ,都の行事日程など身についている訳も無く。翌日の移動のために下りたその日が宵山とは,どおりで宿が取れないわけだ。
全くもって縁遠い世界だけに,足を運ぼうという意識はもちろん,基礎知識自体もあって無きがもの。『RON』や『MASTERキートン』が最も印象深い記憶というのも我ながら…。想像を絶する人混み(人間の一方通行も久しぶり)にも耐えきれず,こちらの友人に下駄を預けて,日付が変わるまで酒と話で避難。
稚児の足,地につかず はコメントを受け付けていません
受け身の旅もまた楽し。
窺い知れぬところで決まっていた流れに乗せられるがまま三島まで。
ヴァンジ彫刻庭園美術館 「川内倫子展 Cui Cui」
作品を間近にしたのは一昨年夏の弘前以来かな。6×6サイズで切り取られた家族の肖像。その先には,やはり自分の家族の姿も見えてきて。
帰りの渋滞が読めなくて早めに帰路へ。そのため,敷地内の他施設を巡ることが出来なかったのは残念。今月下旬からは「ぐりとぐら」の展示も始まるので,今度はゆっくり電車の旅ででも(青春18きっぷの利用期間も来るし)。
鶯鳴くところ雀鳴く はコメントを受け付けていません
突然に訪れた夏の陽射しも厳しい午後三時の谷中墓地。
田中泯「場踊り」谷中
もたれかかる樹,木洩れ日の作る光と影,更にはそこに流れてきた時間。あらゆる場の要素を感じ,それに呼応して体が動く,文字通りその場でしか表現しえない姿。土の地面に残された爪の軌跡もまた踊る。
その姿を撮影するアラーキーの動きもまた踊り。横向きになってちょっと膝を曲げながらシャッターを切る姿が可愛くて。
帰宅後,昨晩放送された「スティーブ・ライヒの世界・その魅力」を。
現場へ足を運んだのは収録日の翌日だが,場の雰囲気はそのまま。そしてやっぱり『Music for 18 Musicians』。耳目を集めるとはまさにこのことか。基本的には聴覚に訴える音楽の極北だと思うのだけれど,俯瞰と寄りを駆使して演奏者の姿をこれでもかと見せつけられると(Section Vではピアノ2台の運指をフレームの左右に配する編集までしちゃうし),現場とはまた違ったところから人の存在を強く意識することに。
別撮りの『Different Trains』。
やや過剰な演出は良し悪しだが,力強い音に圧倒される。
何とかやる事を切り上げてお仲入り後から。
鈴本演芸場 7月上席夜の部「雲助夏模様」
林家正落 紙切り
五街道雲助 宮戸川(通し)
聴きたい噺家と聴きたい噺が合致した夜。通しはCDでも聴いたことなかったし(円歌であるみたい)。
よく知られている前半を拍子抜けするくらいにあっさりと流し後半へ。知らずに話す者と知りながら耳を傾ける者の弛緩と緊張の対比。その舞台が舟の上という隔離された場というのも,お互いの逃げ場のない関係を強調。
今席はもう一回くらい行けるかな。