本番前,最後の皇居ラン。
身体の澱みと心の澱みは表裏一体。想わず想うあらゆる想いを,後頭部の扉を開いて流し去る感覚が心地良い。
必ずの展覧会。
「杉浦千里展~知られざる博物画の世界~」
3/17~23
かなっくホール 横浜市神奈川区民文化センター ギャラリーA
朝日新聞のサイト「どらく」内,アリャマタコリャマタ氏のコラムで知る。寡聞にして存じ上げなかったお名前。ウルトラマンシリーズのキャラクターデザイナーにして現代の博物画家。
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今年初めての音源購入。
唯一の定期購読雑誌『TV Bros.』で目に留まった音楽。アルバムタイトル通り,Steve Reichの『Electric Counterpoint』,加えてアーティスト名から想像できるようにKraftwerkの曲もカバーしたアルバム。電子音と弦楽の組み合わせが良い意味で軽く耳に心地良い。『Electric Counterpoint』はPat Metheny版よりも好きかも。
MySpaceを見るとライブも良さそう。アルバムには収録されていないKraftwerkの曲もカバーしているし,また力の抜けた映像もツボ。
・Powerplant 『Electric Counterpoint』
・MySpace: Powerplant
ちなみに,最初に音源と書いたのはiTunes Storeで購入したから。これより前は11月に同じくiTunes Storeで安藤裕子のシングルを購入。CDメディアを最後に買ったのがいつかもう思い出せないくらい昔の話になってしまった。
帰省中,思い立ってほぼ10年ぶりにスキーを。
想像以上に滑ることが出来るものね。
道具の変化(カービング+短縮された板長)に助けられたところはあるにせよ,かつて苦しんだコブ斜面をそれなりのリズムとスラロームで一気に滑り抜けることが出来たのには驚き。
一方で,もちろん体が覚えているところもあるはず。小中学生の頃までに身についたことって,ブランクがあってもスイッチが入れば自動再生されうる可能性を実感。色々と脇道に逸れたりしたものの,結局はそこに戻っていくのね。
湖にかかった天使の梯子も,また綺麗なことで。
いや,スキー場だけにリフトか。
一日券で昇れませんかね。
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あけましておめでとうございます。
久しぶりに実家でゆっくりしております。
昨年は持ち前のサボり癖を見事に発揮しましたが,今年は色々と記していきたいもの。ここ数年の懸案であった整理と分類もScanSnapのおかげで前進したことだし,そろそろ出力の方向で。
また,体作りも変わらないテーマのひとつ。まずは裏を返す2月末のおきなわマラソン。現時点での練習量では,初マラソンであった昨年の4時間切りは難しいけれど,逆にこれでどれだけ走れるか確認するのもこれからも続けるであろうランニング趣味のためには良いのだろうと。
ということで,よろしくお願いいたします。
新年の始まりはいつも同じ。
古今亭志ん朝の「御慶」を聴くことから。
富くじ千両に当たった八っつぁんの屈託のない性格はもちろんだが,それ以上に彼を取り巻く人々の妬みの無い心根が気持ち良い。あまり,現代に投影して考えるようなことはしたくないとは思いつつも,やはり色々と考えてしまいますね。もちろん,自分のことも。
なわけで,皆様。
ぎょけぇっ!!
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複数の画像を掲載出来ると,日記も一度で複数日に渡って記せるから楽ね。
今月は初めて尽くし。
まずは江戸で投扇興。その様子からとっつきにくい印象だったものの,一対一の対戦形式や,十投して得点を競い合うルールなど,やってみればダーツやボウリングに近い感覚。狙って点数を取れる上手い人が強いのはもちろんだが,点数の高い役を出せば最後の最後に一発逆転も可能な偶然性のあるところも初心者には嬉しい点。
先週は上洛して南座で初めての顔見世興行(昼の部)。
『ぢいさんばあさん』,良かったなぁ…。若かりし頃の美濃部伊織の行動心理には共感出来ないところもあるが,年老いて我が家に戻った夫婦の機微に心揺さぶられる。その老夫婦のために座布団を新調する若夫婦の気持ちもまた良くて。
翌日,江戸に戻って昼夜の落語会から,そのまま呑み。ムンクの叫びのような鯉(金魚?)に釘付け。数えてみれば今年も結構な数の落語を聴きました。近場で通える幸せを噛みしめつつ,来年もまた。
皆様も良いお年を。
銀座エルメスに東大のモバイルミュージアムが導入されたという話を聞きつけ足を運ぶ。8階のギャラリーを訪れる際もそうだが,ブランド自体には全く購買欲を持たないだけに,すみませんねぇ,いつもタダで楽しませてもらってばかりでと若干,平身低頭気味。
「驚異の小部屋」
イメージとしては「鳥のビオソフィア」の赤い部屋。赤い壁に囲まれた空間の中,同展で目にした標本・什器を中心に,小石川で目にするものが散りばめられている。ヴンダーカマーも元々はトンでもないお金持ちの方々の愉しみであったことを考えると,こういう場の博物展示も理に適ったものだなと。そういえば,パリのデロールもショーウィンドウ向けに剥製を貸し出していたりするんだっけ。
とは言え,やはり本郷や小石川で見たほうが良いと思ったのは,自分がお金持ちではないからでしょうね。また個人的には秘めた愉悦という印象からも逃れられないわけで,知る人だけがこっそり訪れる,しかも外からはその中に何があるのか分からない雰囲気が無いと興奮出来ない体のようです(そういえば,エルメスは外から中の展示が見えるんだよな。あれもちょっと)。
退店後,ジムで2時間みっちりと体を禊いだら,東京国際フォーラム ホールA。
Sigur Ros Japan Tour 2008。
ジム終わりで体に熱も残っているので,何か飲んで落ち着こうかとドリンクバーへ向かうと,唐突に声をかけられる。氷国つながりで顔見知りの方。やっぱり,誰かはいらっしゃるのね。先月,例の危機直後に現地を訪れた話などを聞き,年末の再会を期して辞す。
バンドも変わればオーディエンスも変わる。5月のSteve Reichのライブを思い出すような若い聴衆層の熱量で,国際フォーラムという場から想像していたものとは明らかに異なる景色。それでもこの差異は嬉しい誤算。まるでこの変化に対する己の意識を試されているかのよう。最前列,立って体を揺らし続けている女性のステージライトでシルエットとなった綺麗な曲線を眺めながら,音を聞くともなく想いを巡らせる。
アンコールはsvefn-g-englar~Untitled #8(a.k.a Popplagið)。奇しくも5年前の国際フォーラムと同じ。それなのになのか,それだからこそなのか。
何にでも意味を求めてしまうのは良くない癖ね。
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ご無沙汰なことで。
書きたいことは色々あれど,ひとまず。
先月半ば,初めてのパリへ。
主たる目的は諸々の博物館・ヴンダーカマー巡りだったわけですが,そこはほらやっぱりね。Playmobil好きとしては忘れちゃいけないところがあるじゃないですか。
土曜の昼下がり。パリ中心部,Denfert-Rochereau駅からRER(地域急行鉄道網)に乗り,Antony駅で下車。そこからバスのはずだったんだけど,どうしてもバス停が見つからず日和って駅前からタクシーを使用。10分ほどで到着したのが,待ちかねた「Playmobil FunPark Paris」。
着いてみると郊外のロードサイド。アウトレットショップの多く入るショッピングセンターの一角にありました。何処の国もこういう場所の景色は同じなのね。
エントランスの女性から(首にはPlaymobilロゴ入りのストラップ!)を購入し,入場。一本の通路から奥へと長い空間。その左右にプレイスペースがあり,一番奥に軽食と物販。入り口から奥までは普通に歩いて1分もあればたどり着けるくらい。
園内は近在っぽい家族層でいっぱい。モノがモノだけに考えたら当たり前なんだけど,休日に家族で訪れるのには非常に適した場所。食事スペースはあるし,もちろんPlaymobilも遊び放題。街が出来るくらいに並んだ中世の家や,複数並んだノアの箱舟の姿はそりゃ壮観ですよ
ただ極東のいちPlaymobil馬鹿としては,ガッカリするところも多く。
広大な敷地内に充実した施設の揃った本国ドイツと,限定品に加えて工場見学も出来るマルタ(移転してからは行ってないんだけど),これまでに訪れたこの楽しすぎた2ヶ所と比べちゃうと,ただ現行のPlaymobilで遊ぶだけというのはどうしても見劣りするよなぁ…。
密かに期待していたショップコーナーも,限定品の姿が無いのはもちろん,現行品を買うにもユーロ高(例のリーマンショックで9月頭に比べたら10円以上安くはなっていたけれど,それでもね)で日本で買ったほうがいいやと,結局手ぶらで退園。
正直,行ったという事実に満足感を覚えるってところかなぁ。いや,馬鹿としてはそれだけでも十分なくらいの満足感はあるんだけど,ちょっと期待が大きすぎました。
Tags: Paris, Playmobil
リュー・ドゥ・バックですれ違った女性の香水に遠く離れた恋人を思い出す。
匂いが喚起する記憶の甘美と残酷。
…
…
そんな文章が自分に書けるわけないじゃない。
階段を一段一段上がる度に強くなる匂いにどこか覚えあり。これは東大博物館小石川分館の匂い?。飴色の木製床,天井まで届く木製キャビネット,そして集いし標本の数々。はるばるパリまでやってきたはずが,はるばる東京に戻ってきていたとはね。
かつての姿を知る人ならば相違点にも気づくのでしょうが,初めて訪れた者にとっては何事もなく何十年とこの雰囲気を保ち続けているとしか思えない。特に手前の部屋,虎や水牛などの大型剥製が佇む空間は期待に違わぬ景色。奥の部屋,鳥類の並ぶキャビネットもその豊かな色彩に目を見張る。ただ,よく見るとキャビネットの中には何処か密度が足りないものも。この辺りにまだ復興半ばの現実を見る想い。
奥のテーブルでは,大泉滉とウィル・ライトを足して2で割ったようなオジサマが,カミキリムシに向かって器用にピンを刺している。欲しいものもあれば訊きたいこともある。作業を邪魔してゴメンねと話しかけると,もちろん返答はフランス語。こちらのつたない英語とあちらの完璧なフランス語。どこまで行っても平行線。これが噂に聞くフランスの洗礼?。お互いに若干の気まずい空気が流れ始めたところで,オジサマが何処かに電話。すると,1階からブロンドのマダムが登場。疑ってゴメン,オジサマは良い人でした。素敵なマダムの通訳のおかげで幸福な時間が流れていく。
訊くことも訊いたし,買うものも買ったし(そりゃホントは,高くて買えないものばかりだけどね),そろそろ辞するかとひとつ大きく深呼吸。小石川の匂いに混じり,何か焦げたような匂いが鼻腔を抜ける。興奮状態では気づかなかった7ヶ月前の残り香…。そう思って今一度と店内に目を配ると,一番奥のキャビネットの中に黒く煤けた店内の写真。世界を標本するこの店が自らを標本する。
ますます好きになりました。
時におかしい『芸術新潮』の言語感覚の中でも,特に心奪われたのは2002年10月号。ルドルフ2世の元に集いし人々や,そこから生まれた作品から称された表題のキャッチコピー。
そんな4年ぶりの綺想の帝国は更なる観光化が着々と。黄金小路を通ることそれ自体が有料化されていたのには驚き。これこそまさに錬金術。誰が通るかそんなとこ。
そんなささくれた心を癒してくれるのは,ストラホフの図書館,そして国立博物館の鉱石部屋。
わいわいルドルフランド はコメントを受け付けていません