NHKで『映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望』。
以前にも書いたように,カラーで撮影されたナチスのパレード(ミュンヘンで開催された芸術祭でのもの)を食い入るように見る。何に驚くって撮影者が一介のアマチュアだってこと。ナチス宣伝部が残した映像のほとんどがモノクロなのに,なぜこの人はカラーの環境を持っていたのか?。当時の映像事情は全く知らないんだけど,何か特別な事情でもあるんだろうか?。
で,ナチス関連のカラー映像が他にもないかとググったら出てきたんで覚え書き。
・『The Third Reich in Color』
・『The Architecture of Doom』
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どこのサイトで知ったのか忘れたけれど(手当たり次第に徘徊するんで…),国土情報ウェブマッピングシステムにずっぱまり。
住所を入力することで空撮で捉えた地上の画像を閲覧できるこのサービス,まずはやはり実家からということでやってみたら,出てきたのは庭がまだ更地で茶色い時のもの…(ちゃんと造園したのはこの次の年でした)。
しかしそれ以上に驚いたのは周辺環境。今はある建物や道路が無かったり,逆に今は無い建物が立ってたり,更にはあるひとつの町内会全域が丸々林(その後,切り崩して宅地化)だったりで,よく考えたら(よく考えなくても)当たり前なんだけど,普通に驚くし普通に興味深い。やはり画像,そしてカラーというのは情報量が多いよな。白黒のゼンリン住宅地図じゃこうはいかないです。
他には有名どころを見るものなかなか。西新宿に高層ビルが4本しかなかったり(昭和49年),お台場が木材浮きまくる貯木場だったり(同じく昭和49年),鼠の国が全くの更地だったり(昭和54年)…。
昨夜からずっとBBCつけっぱ。何回 “We Got Him” を聴いたか分からん…。
しかしこの科白を放ったThe US-led Coalition Provisional AuthorityのPaul Bremerの溜めは素晴らしかった。会場が静まるのを待ち,そこから更に一拍置いて “Ladies and Gentlemen”と始める。当たり前のことなんだけど,発言の効果を最大限に発揮する”間”を心得てるよなぁ。
その一方で,広末・フセインと立て続けのビッグニュースを前に,谷柔さんが遠い空の下で歯ぎしりしてるんじゃないか?。と,今まで全く気にも留めたことがないくせにこんな時だけ想ってみたり…。
久しぶりに寝倒して,起きたら昼。
ということで,南極で観測された初めての皆既日食は,リアルタイムではなく夜の再放送で確認。中世において,こんなのが起きることを予言する人間が現れたら,そりゃ一般の人々は彼のことを盲信しただろうなと思ったりしつつ,現在の地上で起きている瑣末な事象は見事に頭から消え去った数分間でした。
それにつけても,月のなんとつつましやかなことよ。
夜は魅惑の映像3本立て。
まずは2年間待ちわびた『料理少年Kタロー』,伝説の第8回「宇宙料理戦プラネットボンバー」をついに再放送で体験。
ただただ堪能…。表現行為の一側面として,過剰であることがどれだけ正しいことかを思い知らされた25分(もちろんDVDに焼いて永久保存)。またちなみに音楽担当のゲイリー芦屋は”ヒゲの未亡人“にして渚ようこ『愛の逃亡者』プロデューサー(その他にも映画・Vシネも色々)。やっぱり興味というものはどこかで繋がっているものなのね。
続いて同じくNHKで 『地獄の黙示録 特別完全版』。
売りである追加シーン,またストーリーの再考察なんてのは実はどうでもよくて,とにかくキルゴア中佐を堪能できればいいんです(この辺,『Kタロー』に繋がる過剰への愛)。なもんで,中佐退場後はとにかくダルくて,武蔵丸にしか見えないカーツ大佐のデプっぷりとか,一番おかしいのはウィラードだろうとか,当然とは言え,アレゲな単語が連発だなとか,思考が次から次に飛びまくり。
最後はようやく入手した『サウス・パーク』episode 110「おしゃべりウンチのMr. ハンキー」。
政教分離を理由にキリスト教色を排する形で行われることになったサウスパーク小学校のクリスマスイベント。それはPhillip Glass伴奏によるまさに現代芸術のパフォーマンスだった…。最大の目的であった彼の登場シーン,しかし想像以上に短すぎでちょっと残念(鳴らされた音は確かに『Koyaanisqatsi』風味だったけど)。しかも顔が全然似てねぇよ!。
でも一番驚いたのはケニーが死ななかったことかも…。
隣接区からDVD『失われた文明7 チベット 時の終焉』借りる。
『Time』と『Life』が共同制作した世界十大文明を紐解くシリーズもののひとつ。他の巻で取り上げられているギリシャやエジプトなどならまだしも,この地に対しても“失われた”と言い切っているところに微妙な寂しさを覚えつつ鑑賞。
年に一度の儀式「カーラチャクラの大灌頂」(カーラは「時間」,チャクラは「輪」)や,そこで描かれる砂曼荼羅など,仏教文化についてはそれなりに知識はあったけれど,遠い過去の歴史や,また一般的な基本慣習などの知識はごっそり抜け落ちている。なもんで,かつては好戦的な民族(唐の書物に記されていた)で17世紀に非武装化されたとか,国民的スポーツはポロとアーチェリーだとか,また現在でも鳥葬(肉体をバラバラに切断後)が行われていて,それは価値の無くなった自らの存在を他者の役に立てるという究極の奉仕であるとか,普通に知らなかったことが多くて非常にためになる。
更に細かいところでは,法王だから当たり前なんだけど,”His Holiness”と呼ばれるのねなんてのも(ヴァチカンのあの方と同じ)。
ところで,歴史家や政治学者,そしてリチャード・ギア(チベットの利他的社会について言及)などに混じって,コメンテーターとしてインド・チベット学教授のロバート・サーマン(Robert Thurman)という人物が登場。チベット学者でサーマンという姓の人物が二人もいるわけないよなと思いつつネットで裏取りをしたら,やっぱりユマの父親(ちなみに母親はサイコセラピスト。オザケンのようなもんっすな)。っつーか,NYのチベットハウスのディレクターもやってたんだ。旅行時に行っとくべきだった…。
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健康診断の結果が届く。
ここ3ヶ月の食生活&ジム通いが奏効して,やっと人並みの健康を手に入れる(今までがひどすぎ)。
しかし,いくらそれなりの体になったとはいえ,2年前に同棲を始めた喪黒腹造(良い肝腫瘍)が今回は発見されなかったってどういうことよ。そう簡単に消えるもんじゃねぇだろ?。っつーか,文字通り「腹の中に一物ある男」の肩書きを外したくないんですよ。お願いですから帰ってきてください。
国技館にてダライ・ラマ法王来日講演「慈悲の力 “Power of Compassion”」。
司会はピーター・バラカン,そして開会の辞に吉本ばなな。
チベット語に時折英語を交えながらの約2時間の講演(もちろん日本語通訳あり)。様々な意味で高度に想像力を働かせる必要のある場だったということも含めて,非常に堪能させていただきました。自分は慈悲の境地からは程遠い人間ですが,「物には限りがあるが,物の考え方には限りがない」という言葉は心にしかと受け止めることができました。
今回,初めて法王と同じ場に肉体を置くことが出来たわけですが,期待していたユーモアの部分を垣間見ることが出来たのも喜びのひとつ。質疑応答(最初にピーター・バラカンが「欲しいのは質問であって,決して演説ではないのでその辺よろしく」と釘を刺したのもまた秀逸)で,「愛情は時として執着に変化することがありますが,その両者の違いは?。そして執着に陥らないための策は?(要約)」との問いに,「それは明日話すテーマだ。もし暇があるのなら,明日また来てくれ」(翌日,有料講演の予定が組まれていた)と返した瞬間,つい爆笑。ある意味,ドライで商売上手な一面もないと捌き切れないよなぁと,勝手に想像。
講演の最後には宮沢りえが登場して法王にカター(kha btags。友人が旅立つ際,安全祈願を込めて渡す白い礼布)をかける。最後の最後まで想像力が必要。
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普段ほとんどテレビを見ないので,後になって「そんなのやってたのかよ!?」と後悔すること度々。今日もBBC Worldでコンコルド最終フライトが生放送されていたことを知って愕然…。
にしてもBBC World,サイトでの告知遅すぎだろ(と,とりあえず余所の所為にしとく)。
いつかいつかと待ちわびたテレビ放送も結局行われず,どうなってんのよと思っていたジョージ・ハリスン トリビュートコンサート。しかしついに来月,CDとDVDで日本盤発売が決定。
もちろんあのパイソンズ(除くジョン)のケツ出しも収録(っつーか,これこそがメイン)。60になってもケツ出して『Sit on My Face』を歌うその格好良さを己が胸に刻まねば。
Life Can Be Fine If We Both 69 はコメントを受け付けていません