Archive for the ‘Art’ Category

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2月

十年越しの姿(下)

   Posted by: fumi Tags:

デロールのサイトで見つけた見覚えのある作品。
それは写真家、Marc Dantanが、あの火事で被害にあった孔雀を撮影した写真でした。

それを見たのは、前回の記事にも登場した書籍『Nature Fragile』。2008年11月、火事の被害にあった剥製・標本を用いた同名の展覧会がパリの狩猟自然博物館で開かれ、本書はその図録と呼べるものでした。そこに掲載された孔雀が、このタイミングでデロールのサイト、しかもオンラインショッピングのカテゴリに登場したのです。

Nature Fragile

もちろん、展覧会に展示されたオリジナルではないですし、また、サイトに掲載されたものよりも大判のプリントが他のサイトで販売されていることも知っていました。しかし、後者とて容易に手を出せる金額ではなかったところに、今回の価格を見ては、いてもたってもいられなくなりました。また、2018年には火事から10年を迎えるとあり、当時去来した様々な想いをこの写真に込めて手元に置きたいという気持ちも背中を押した要因のひとつとなりました。

今回、入手したのは二枚。件の孔雀に加え、同様に背中を向けた姿の熊も。背中で語るという言葉がありますが、自らの意思では動けないまま、炎と煙に包まれた記憶を見る想いがしています。

Marc Dantan: Le paon

Marc Dantan: L’ours

 

デロールのサイトで販売されている写真は20作品。鉱物や珊瑚など、動物以外のものもあります。

また、Marc Dantanは、現在のデロールの姿も撮影しています。

31
1月

十年越しの姿(上)

   Posted by: fumi Tags:

時の流れの速さを痛感せずにはいられません。
明日、2018年2月1日で、デロールの火事からちょうど10年が経ちます。

このサイトで何度か語ってきたことではありますが、改めて。
その事実を知ったのは火事から半年以上経ってから。それ以前からデロールの存在は知っており、いつかは足を運びたい場所とは願っていたものの、日常の中で情報を追うことはしていませんでした。それ故、その事実を耳にした時の驚きと狼狽は、今でもはっきりと想い出すことが出来ます。

その時の様子は、当時「関心空間」というサイトに記しました(関心空間のサービス終了に伴い、そこに記していた文章は本サイトに移動しています)。稚拙な文体や比喩の使用に赤面しますが、一言一句そのままです。

記事内の(google translateを介した)デロールのサイトへのリンクが切れているのも、また時の流れのひとつ。現在は新たな形でサイトに記されています。

火事の状況に始まり、復興のためにアーティストが声を上げ、被害にあった剥製標本を用いた作品を製作、それらがオークションにかけられたこと。かのエルメスもデロールの標本を用いたスカーフを製作、その売り上げを復興金としたこと。園芸ブランドのJardilandは「Deyrolle」と名付けたバラを販売したこと。また書籍では、AssoulineからLaurent Bochet『1000°C Deyrolle』、Beaux Artsから『Nature Fragile』、SteidlからMartin d’Orgeval『Touched by Fire』が出版されたこと。そして最後には、復興に協力したアーティストの名前が記されています。

そんなデロールのサイトを訪問した、昨年11月のある日。復興に協力したアーティストの中の一人が撮影した見覚えのある作品が目に飛び込んできました。

1
4月

ヘッケルの夢

   Posted by: fumi

日々に触れるネットでの行動について、指針としていることがあります。それは、知らない人の知っていることに触れるという考え方。文字にして書くまでもありませんが、世界には私の知らない素晴らしい人々が存在する。それら知らない人々の考えや、その人々が作り出す魅力的な物に出会いたい。

そんな考え方で行動していて目に飛び込んだのが、ボストンのあるデザイナーが手にしていたガラスに刻まれた放散虫の3Dモデル。透明な直方体の中に浮かぶその姿に、いてもたってもいられずオーダー。1週間の後に、手元に届きました。

bathshebaRadiolarians_01

製作はBathsheba Sculpture

サイトの説明によりますと、これらの放散虫はバルバドスの近く、第三紀(およそ6430万年前から260万年前)の地層から収集されたもの。顕微鏡検査の雑誌の記事で出会い、X線断層撮影スキャンで作られたモデルデータを提供してもらい実現。300倍というスケールを除けば、そのままの姿であるとのことです。

放散虫と言えば、エルンスト・ヘッケルを想い浮かべますが、もちろん、その名についても触れられています。顕微鏡の発明以来、好奇心と不可思議の眼差しで観察されてきた放散虫を初めて3Dで目にすることが出来るように。ヘッケルならば、これを見て何を想うことでしょう。

今回、購入したのは6種類が並んだタイプですが、そのいずれかひとつを拡大してオーダーすることも可能だそうです。

bathshebaRadiolarians_02

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我を忘れて眺めること、しばし。これまでぼんやりと想っていたことが、少しずつ言葉となって出てきました。いつの間にか時が経ち、一年ぶりの更新でしたが、ちょっときっかけになりそうです。

先週に足を運んだ、横浜のギャラリー・工房「10watts + chikuni」での「「 球体 」 球,あるいは球の形をした物体の展示会」。その素晴らしさから、ふと想い出しては空想の世界に旅立つこと度々。

「 球体 」 球,あるいは球の形をした物体の展示会

球体という形状、そして出展者の肩書を拝見して頭に浮かんだのはLenka Claytonの「Moons From Next Door」。宇宙船の窓から、今まさに着陸態勢に入らんとする未知の惑星。

Lenka Clayton: Moons From Next Door

さて、ギャラリーを訪れると、そこは俯瞰で眺める銀河の趣。この銀河を構成する百有余の球体群の齢は、数十年から古くても数百年。現実の銀河に比べれば乳飲み児のようなものですが、それらがひとつの空間に存在することで立ち上げる気配には、天を眺めるような畏怖の念を抱かずにはいられませんでした。

その気持ちから選んだのは白色矮星とでも呼びたい、ひび割れた白い球体。老成の極みであると共に、いつ粉々に砕け散ってしまうのかという儚さが同居しています。

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ある趣味嗜好をお持ちの方なら、球体をそのままポケットに入れて歩くことに憧れることでしょう。かくいう私も否定できませんが、今回の出展者にはラガード研究所の名前。となると、壊れてしまいそうなこの球体を蝋引きの箱に納めないわけにはいきませんでした。

20150405_sphere_03

そうして持ち帰っての帰宅後、箱から取り出して眺めていると、新たな見立てに気がつきました。幼少時、どれだけ作ったかわからない雪玉。そのひとつがタイムカプセルの如く、実家の何処かに保管されていて、今回、それが姿を現したように見えてきました。当時の瑞々しさは消え失せ、水分を失い体積が収縮し、表面に無数のひびが入ったその姿の向こうに、数十年前の自分が17時のサイレンが鳴るのも聞かず、一心不乱に雪合戦に興じる姿が見えるかのようです。

18
3月

博物の金沢:工芸という生物

   Posted by: fumi

では、金沢で出逢った博物的と呼びたくなる美術品を。

最初は、陶芸家の薄井歩さん。

2013年3月に金沢を訪れた際に、石川県立伝統産業工芸館で開かれていた個展「パライソ 極楽の浜」のチラシを目にして一目惚れ。すぐさま会場に向かいました。

自然界、特に貝や珊瑚、甲殻類などの海洋生物を想起させる形と、その表面を細密且つ高密度で覆う紋様。それは生命を持っているようでもあり、また今しがた化石として掘り出されたものにも見えました。

この時は会期終盤に訪れたため、欲しいと思った作品には軒並み赤いシールが。その後、同年9月に京橋・LIXILギャラリーにて開かれた個展「陶 パライソ」で新たな作品を拝見。ようやく我が家に迎え入れることが叶いました。

薄井歩

薄井歩

 

 

続いては、金工の河野迪夫さん。

魚類・鳥類・昆虫、古生物まで様々な生物の形態から生み出された作品は、有機的な美しさと同時に、銅と緑青の質感も伴った無機質な機械的魅力をも感じます。そのまま生物として自然界に存在するように感じられたのが薄井さんの作品であるのに対して、河野さんの作品には、現代人なのか古代人なのか、はたまた宇宙人なのか、誰か知的生命体によって作られたハイブリッドな生物に見えます。

 

河野迪夫

河野迪夫

 

河野迪夫

河野迪夫

 

標本や剥製のような王道としての博物品を愛でる愉悦とは別の喜びを覚える、現代の博物的なる美術品。次に金沢を訪れる時、また新しい出逢いのあることを。

 

17
3月

博物の金沢:はじまり

   Posted by: fumi

3/14に開通なった北陸新幹線。そのなかでもメディアでの扱いが多いのは、やはり金沢。個人的にも、ここ5年ほど年に一度は訪れている町です。

最初は単なる観光旅行。茶屋街に21世紀美術館、日本海の幸と、通り一遍の町巡り。しかし何処の町でもそうですが、足を運ぶとなれば当初の目的だけではなく、他にも色々と眼にしたいもの。そうやって探しているうちに出会ったのが、博物的と呼びたくなる美術品の数々。ニワトリが先か卵が先かのごとく、金沢という土地柄が先か私の趣味嗜好が先か、そのどちらが先かはわかりませんが、気がつけば心惹かれる作品に出会う町となっています。

その最初のきっかけとなったのは、彫刻家の橋本雅也さん。
2011年3月に大阪・主水書房で開かれた初個展「殻のない種」で魅了され、その後、作品の発表や展覧会の情報を追うようになりました。
すると、2012年4月に金沢市のお寺、廣誓寺で展覧会が開かれることを知り、それを見るために金沢へ。その後も2013年8月、金沢21世紀美術館での 「第2回金沢・世界工芸トリエンナーレ」に参加、そして昨年2014年5月~8月には、同美術館で展覧会「間なるもの」を開催。その都度、作品を拝見するために毎年金沢へと足を運ぶこととなりました。

金沢21世紀美術館「橋本雅也 間なるもの」

以前は水牛の角で作品を作られていましたが、「殻のない種」からの橋本さんの作品の主な素材は、鹿の角と骨。猟師に同行して出会った一頭の鹿、その骨から生み出された花々。その裏表の死と美から目を離すことが出来ず、ただ息をのみ対峙するばかりです。

作品の画像は先の「間なるもの」のサイト(ここにある水仙が最初の出逢いでした)などにありますが、ここでは昨年末、London Gallery 白金で開かれた個展「一草一木」を拝見した時に撮影したものを。

橋本雅也「一草一木」

橋本雅也「一草一木」

 

橋本雅也「一草一木」

橋本雅也「一草一木」

 

話が長くなってしまいました。橋本雅也さんの作品に逢うために訪れた金沢で、新たに出会った博物的なる美術品の紹介は次回に。