またひとつ、かけがえのない物が出来ました。
完成まで半年~1年は見てくださいと言われた物をお願いしたのが、今年の2月。
・20120207:吉報を待ちながら
それからもうすぐ半年という先月末に完成の報せを頂き、手元に届きました。
2012年の元日に地震で壊れたオウム貝を金継ぎで繕っていただきました。
・20120101:物は壊れる、人は死ぬ、三つ数えて、目をつぶる
この記事の中で、既に金継ぎに言及していますね。金継ぎの過程を記すといったことも書いているので、DIYショップにある金継ぎのキットでも試してみようと思っていたのでしょうか。とはいえ、器も継いだことのない者が、いきなり貝を扱えるわけもなく。かといって金継ぎをされている方を知るわけでもなく(こういう時に度胸があれば、ネットで見つけて積極的にお願いするのでしょうが) そうして時間が経つこと1年。嬉しいことに、日本酒の美味しいあるお店にて、金継ぎをされている方と出会う機会に恵まれました。
先方も貝を継いだ経験がないとのことで、まずは実物をお送りして判断を仰ぎました。結果、いけるのではということとなり、それが半年~1年は見てくださいという返事となりました。
結果は、ご覧の通り。白に映える金が素晴らしいです。
物を壊すことは心も壊すこと。なんで本棚の高いところに置いたんだろう。いや、同じ棚でも奥に置いてれば落ちなかったのに… と、後悔の念に苛まれていましたが、この繕われた姿を見ると、語弊はありますが、壊れて良かったと思えてしまいます。金継ぎは心も継いでくれるものだということを、身をもって知りました。
アーサー・ミー(Arthur Mee)とは誰なのか。
まずは定番のWikipediaに御登場願います。日本語版には記述がありませんので英語版にて。
・Wikipedia: Arthur Mee
プロフィールを簡単に訳すと以下のようになります。
アーサー・ヘンリー・ミー(1875年7月21日-1943年5月27日)
イギリス人の編集者でありジャーナリストであり教育者。『The Harmsworth Self-Educator』 『The Children’s Encyclopædia』 『The Children’s Newspaper』 『The King’s England』などで知られる。他にも複数の著作を残しており、その多くは愛国調で、また歴史やカントリーサイドの話題に関するものもある。
今となっては、この説明でも納得出来るようになりましたが、私にとってのアーサー・ミーの第一印象は、徹底したヴィジュアリストでした。彼の業績を知れば知るほど、その像は薄らいでいくのですが、何しろ最初の出逢いが、全ての項目に図像を用いた百科事典、その名も『I See All』(1928-1930) その後も、Wikipediaにも記されている子供向けの百科事典『The Children’s Encyclopædia』(1908-1910)や、同じく子供向けの新聞『The Children’s Newspaper』(1919-1965)などに用いられた図像に魅了され続けました。
“I See All” from flickr photo by mark-s- http://www.flickr.com/photos/mark_s/527377426/
ふたつめは、百科事典を編纂していることに直結した、文字通り、百科を求める人。先に挙げたふたつの百科事典はもちろん、古今東西の文学作品から美しいものを選りすぐった『One Thousand Beautiful Things: Chosen From The Life And Literature Of The World.』(1925)など、アンソロジー的なものも複数残しています。
最後に、図像と百科への偏愛が一段落した頃、もうひとつの見方が出来るようになりました。それは子供への眼差しです。『The Children’s Encyclopædia』や『The Children’s Newspaper』という名前からも当然のことではあるのですが、彼が生きた19世紀末から20世紀半ばという時代背景もあり、次代を担う子供達の教育に対する姿勢(それは先のWikipediaにあるように、大英帝国への愛国的な面も目立ちます)が強く目に留まるようになりました。ちなみに彼の業績は海を渡り、日本の教育運動にも影響を及ぼすことにもなります。
と、簡単に紹介したところで、最後にこのブログならではの余談をひとつ。
このアーサー・ミーをネットで探す過程で、もう一人のアーサー・ミーに出会いました。それも、かの敬愛する「天文古玩」さんのブログにて。
・20081026 天文古玩「そそる本(2)」
作者である玉青さんがブログを書かれたのは2008年10月ですが、私が知ったのはそれから約半年後、2009年の3月のことでした。玉青さんの文を引用させていただきます。
著者のサイラス・エヴァンスという名前で、ははーんと思われた方もいるでしょうが、この本はウェールズ語で書かれた天文学書なのでした。序文によれば(ここだけはアーサー・ミーという人が英語で書いています)、この本はウェールズ語で初めて書かれた、真に分かりやすい天文学入門書だそうです。
まさか同一人物かと調べると、その名もまさに「A History of Astronomy in Wales」というサイトに人となりが掲載されていました。
・A History of Astronomy in Wales: Arthur Mee
アマチュア天文家として知られているということで、同姓同名の別人同士ということがわかりましたが、偶然にも、こちらのアーサー・ミーもジャーナリストとしての肩書きを持つ人物。更に生没年が1860-1926年ということで、私が知るアーサー・ミー(1875-1943年)と同時代を生きた人でもありました。
更に驚いたのは、彼の名前「Mee」にちなんで、月のクレーターのひとつが「Mee」と命名されていたこと。もうひとつの個人的な興味の対象である月に話が及ぶとは。これだから、知ることはやめられないのです。
・Wikipedia: Mee(crater)
ということで、高山さんのお話しまで辿り着かず。まだ少し続きそうです。
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数年来の夢が叶った想いです。
不忍ブックストリートの「第15回 一箱古本市」にあわせて開かれる「不忍ブックストリートweek」 4/20~5/6の期間に、トーク・展覧会・映画上映・ライブなど35の企画が開催されます。
・2013 不忍ブックストリートweek
その企画のひとつとして、最終日の5/6、高山宏さんに講演をお願いしました。お話しいただくのは、イギリスの編集者、アーサー・ミー(Arthur Mee)についてです。
高山宏講演会「アーサー・ミーと知の愉しみ」
アルファベット順に拠らない子供向け百科事典『児童百科』や、全項目を図版で定義した百科事典『I See All』などで、20 世紀前半に知の愉悦を展開した英国人編集者アーサー・ミー。日本では未だ知られざる彼の業績を、著述等で触れられている学魔・高山宏先生に大いに語って頂きます。
場所◉ 旧安田楠雄邸〈文京区千駄木5-20-18〉
日時◉ 5月6日[月・祝]17:00~19:00
参加費◉ 1500円
予約◉ yoyaku@yanesen.org 不忍ブックストリート ※件名「高山宏講演会」。お名前、人数、電話番号を明記してください。
アーサー・ミーについて高山さんのお話しをうかがうことは、私個人としての数年来の夢でした。それをこのような講演会という形で語って頂けることになるとは。この貴重な機会を忘れないよう、アーサー・ミーを知ることとなった経緯や、アーサー・ミーと高山さんの繋がり、私個人の想いなど、講演会当日まで、思いのままに書き記していきたいと思います。
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昨年四月、金沢に出向き、完成まで一年は見てくださいと言われたものをお願いした。
当時、幸いにも死期が迫るような病は患っていなかったけれど、一年は死ねないなと思った。
今日、別件で新たに、完成まで半年~一年は見てくださいと言われたものを京都にお願いした。
これで更に一年は死ねなくなった。
いや、意外と心残りにしながら此の世を去るのも乙なものなのかな。
物の命に比べたら人の命なんて短いものですし。
などと考えながら、どちらも到着したら此処で紹介したいものです。
20110311 / 20120101
あけましておめでとうございます。
Twitterに慣れるとブログの更新が滞るというよくある話でして、昨年はわずか6本を書いたのみ。
その反動か、今年は長い文章を書きたいし、書かねばと。もちろん、興味を惹かれる話題がなければ書くことは出来ないですし、毎日のように話題が出てくる分野でもなく。それでも探すという行為に自覚的になることで変わることもあるだろうと。
本日午後、鳥島沖で発生した地震により、棚に並んでいたオウム貝(断面を見せるためにカットされたもの)が床に落下、終端部が欠けてしまいました。
蒐集と地震の関係は、昨年3月11日に本の下敷きになったデロールの骨格標本模型で体感していたはず。ミュージアムジェルでの固定はしていたのですが、自然の力の前では人間の小手先の対策など無力なもの。
とはいえ、先の骨格標本模型がそうであるように、その傷を愛でる感情の芽生えを否定出来ません。あれは保険会社だったかコンサル会社だったか、昨年の春頃、金継ぎの器を大写しにした広告を目にしました。その暗喩は言うまでありませんが、確かに壊れたものを再生させることで生まれる新たな価値が金継ぎにはあります。
さすがに骨格標本模型では無理ですが、このオウム貝なら金継ぎも出来るのでは。その過程をここで記すことで、今年のブログ更新の頻度も上がるのかもしれません。
物は壊れる、人は死ぬ、三つ数えて、目をつぶる はコメントを受け付けていません
阿波踊りのお囃子は成功失敗相半ば。音の出来不出来から言えば,明らかに不出来。練習の成果が発揮できず,本番に弱い自分にガッカリ。それでも昂ぶる観客の姿に救われたところ多々。さすがは高円寺。中央線に根付く音楽の力を肌で感じる。
さて,9月。
お囃子の練習が無くなるということで,日々の時間配分を新たに検討。まずはランニングの再開。最後に皇居を走ったのが何時なのか想いだせないくらいに鈍った体を何とかせねば。毎年落選が続く「東京マラソン」の応募も済ませたし。
もうひとつは博物系の話。
ニューヨークで博物系ブロガーと語らったのも遠い昔,6月のこと。当時の話や,訪れた場所についても色々と書きたいことがあるし,また英語で日本の博物系の話題を読みたいとリクエストされていたことも,きれいに棚上げしたまま。英文については分量と力量の問題もあるから,twitterで軽くつぶやく方法と平行で行くとして,個人的経験や考え,その時々の発見などはここできっちりとまとめて書いていきたいもの(いきなり博物系だけを新たに立ち上げる意気込みのないところに我が性格が見え隠れするけれどね)。
例によっての放置癖。
と言っても,今回だけは致し方ないところも無きにしも。
そもそもは突然の引越し。年初からボンヤリとは考えていたものの,懇意の不動産屋さんからの突然の物件情報に飛びついたのが先月半ば。そこから2週間で荷造りして何とか運び出し。本はもちろん,Playmobilや標本などの博物系小物も馬鹿にならない量。しかも,ちょっと怪しい雰囲気の物もあるから更に。引越し業者にジェニー・ハニヴァーを説明するのはさすがに困難を極めたなぁ。
8月に入ったら,今度は笛の稽古。縁あって阿波踊りの連に参加させていただくこととなり,月末の本番に向けてほぼ毎日中央線に乗っては吹き続ける。夜はこれに時間が割かれ,もちろん昼は仕事。合間を縫って新居の荷ほどきもするものの,それも思うようには進まなかったりで,もう何が何だか。
それでも,まずは今日からの三日間。8月の集大成をば披露いたしたいものです。
あけましておめでとうございます。
久しぶりに実家でゆっくりしております。
昨年は持ち前のサボり癖を見事に発揮しましたが,今年は色々と記していきたいもの。ここ数年の懸案であった整理と分類もScanSnapのおかげで前進したことだし,そろそろ出力の方向で。
また,体作りも変わらないテーマのひとつ。まずは裏を返す2月末のおきなわマラソン。現時点での練習量では,初マラソンであった昨年の4時間切りは難しいけれど,逆にこれでどれだけ走れるか確認するのもこれからも続けるであろうランニング趣味のためには良いのだろうと。
ということで,よろしくお願いいたします。
六月の声を聞く前に今年の浴衣を注文。
昨年はお休み,そして一昨年は京呉館(金子國義)のUFOと大冒険をしただけに(さすがに着る場所を選びますね),今年は落ち着いて竺仙で表を竹に裏を燕に。仕立て上がりは二週間後のお楽しみとして,あわせて購入した麻の組紐角帯だけを持ち帰り。その帰り際,お世話いただいている店員の方に角帯を一本頂く。いつもひとつ買うとひとつ貰っているような。ありがたいことです。
UFOつながりでひとつ。
昨年夏,日比谷野音で開かれた細野さんの「細野晴臣と地球の仲間たち~空飛ぶ円盤飛来60周年!夏の音楽祭~」。そのオープニングで流れたUFOを呼ぶ儀式で唱えられる言葉「ベントラベントラ スペースピープル〜」が気になって,アルバムタイトルが『衝撃のUFO』というところまでは掴んだもののそのまま放置。しかし,それが今になって家庭内でブーム再燃,辛抱堪らず購入と相成りまして。
横尾忠則のジャケデザインはもちろん,その内容も全編素晴らしいことは言うまでもないのですが,なかでもUFOとの遭遇体験を語る好々爺がツボ。噺家(敢えて言えば十代目 桂文治?)のようなべらんめぇ口調と,話される内容との激しいギャップ。是非とも青樹亜依『アンドロメダの異星人』とあわせてお聴きいただきたく思います。
どうにかこうにか,怒濤の一週間が終了(詳細は別宅にて報告済)。何となくこれからに繋がっていきそうな区切りがついたかも。
これで少しは日常に時間を割けそう。今月は50kmも走らなかった(こんなの1年ぶりくらいじゃないか?)ランニングの距離を再び延ばすことと,休止していたScanSnapでの紙モノ整理を再開,落語も2週間以上ご無沙汰で切れてきてるしな。あ,そういえば夏の浴衣もそろそろ決めないといけない。