Archive for 7月, 2008
大笑福亭福笑一門落語祭
大銀座落語祭だけは,ただただ小朝にありがとうございます。
昨年の「柳家喬太郎におまかせの会」に負けずとも劣らず,今年はまさかの福笑・たま・喬太郎の揃い踏み。
「柳家喬太郎と上方落語 その一」
立川こはる 真田小僧
笑福亭たま 胎児
柳家喬太郎 ほんとのこというと
お仲入り
笑福亭福笑 絶体絶命
柳家喬太郎 純情日記 -横浜篇-
終わってみれば,純粋な上方落語とのやり取りと言うよりは,キョンキョン vs 福笑一門の東西新作(創作)対決。そして,この場をかっさらったのは紛れも無く福笑一門。弟子のたまが彦いちばりの肉体芸を見せれば,師匠の福笑はお手洗いが見つからずにもがき苦しむ女性のラブストーリーという不条理。そりゃもう,下品でえげつなくてひどすぎますわ(誉め言葉)。それでも,巧みな登場人物の描写と対比で最初から最後まで笑わせるその魅力。聴きながら東の名作,三遊亭円丈『肥辰一代記』を思い出す。これは是非とも東西下品対決を聴きたいもの。
一方の相対するキョンキョンは,独演会直後で抜け殻という発言もふまえると無難に返したというところか。どちらも安心して身を委ねられる噺で面白かったのは確かだけれど,客なんて勝手なもの,福笑の挑発(キョンキョンの言葉を借りると,「あの人,私を出にくくしてやると言って高座に上がったんですよ」)に真っ向勝負を挑んでほしかったところ。そうだなぁ,『一日署長』で両名をいじり倒してくれたら素敵だったのに。
さて,今席は鈴本昼でキョンキョン主任。
次の土日しか考えられないけれど,何とかね。
二十年の六年
博物館♡ラブ
Mark Dionの作品が展示されているという噂を聞きつけ。
東大小石川以降の作品を期待したものの,展示されていたのはそれ以前のもの。まさにその小石川で見た化石のパロディには懐かしさを覚えたが,本物に混じって置かれていたあの場だからこそ沸き立ったユーモアがここでは感じられず,ただアイロニーだけが。展覧会の趣旨から外れた見方をするこちらに非はあるのですが,それでもね。
帰途に寄った書店でBRUTUS最新号「博物館♡ラブ」を。
巻頭いきなりの東大博物館。本郷は「鳥のビオソフィア」に始まり過去の展示を振り返り,小石川は現在の展示をMark Dionにまで遡り紹介。なぜ今?という気持ちも無きにしもあらずだが,それでも読むべき内容の多さに満足。そう言えば,新しいNADiffで,東大の展示を再構成した上田義彦の写真展も開かれることも。
インタビューと共に掲載されている西野嘉章氏の研究室。そこに置かれたオブジェの傾向に,これは漆原教授の研究室じゃないかと(あっちは全く片付いていないけど)。
稚児の足,地につかず
鶯鳴くところ雀鳴く
白日夢二題
突然に訪れた夏の陽射しも厳しい午後三時の谷中墓地。
もたれかかる樹,木洩れ日の作る光と影,更にはそこに流れてきた時間。あらゆる場の要素を感じ,それに呼応して体が動く,文字通りその場でしか表現しえない姿。土の地面に残された爪の軌跡もまた踊る。
その姿を撮影するアラーキーの動きもまた踊り。横向きになってちょっと膝を曲げながらシャッターを切る姿が可愛くて。
帰宅後,昨晩放送された「スティーブ・ライヒの世界・その魅力」を。
現場へ足を運んだのは収録日の翌日だが,場の雰囲気はそのまま。そしてやっぱり『Music for 18 Musicians』。耳目を集めるとはまさにこのことか。基本的には聴覚に訴える音楽の極北だと思うのだけれど,俯瞰と寄りを駆使して演奏者の姿をこれでもかと見せつけられると(Section Vではピアノ2台の運指をフレームの左右に配する編集までしちゃうし),現場とはまた違ったところから人の存在を強く意識することに。
別撮りの『Different Trains』。
やや過剰な演出は良し悪しだが,力強い音に圧倒される。
雲助夏模様
何とかやる事を切り上げてお仲入り後から。
鈴本演芸場 7月上席夜の部「雲助夏模様」
林家正落 紙切り
五街道雲助 宮戸川(通し)
聴きたい噺家と聴きたい噺が合致した夜。通しはCDでも聴いたことなかったし(円歌であるみたい)。
よく知られている前半を拍子抜けするくらいにあっさりと流し後半へ。知らずに話す者と知りながら耳を傾ける者の弛緩と緊張の対比。その舞台が舟の上という隔離された場というのも,お互いの逃げ場のない関係を強調。
今席はもう一回くらい行けるかな。