DEXWEBからGAS DVD到着。
セール価格,14枚ワンセットで14,800円。つまり1枚1,000円ちょいという驚異のディスカウント。資料として買ったと思えば安いもんだろという心の囁きに負けついマウスが…。tomatoやGroovisionsは含まれていないものの,Me Company,Power Graphixx,D-Fuse,Richard Fenwickなど主要なところは網羅。
あとはやっぱり見る時間だな…。
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六本木で飯島洋一×松田行正のトークイベント。
初めて拝見した松田さん,淡々飄々とおもしろいお方でした。せんだいメディアテークは存じ上げていましたが,みなとみらい線 元町・中華街駅(せんだいメディアテークと共に設計は伊東豊雄)のサインにも携わっていたとは。これは行かねば。会場では『Mineralium Index』を購入。これ,この窪み,この指触り。たまらん…。また活版ならではの遊びも各所で発見(画像参照)。
流れの中でMicha Ullmanのベルリン,ベーベル広場(Bebelplatz)が話題に。忘れていたんで覚え書き。
・「Berlin Bau」
・『10+1』内,「IGARASHI Taro Photo Archives」
・「ギャラリーヤマグチ」(地下駐車場工事との問題があったんだ)
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所用,後,印刷博物館で「五感を刺激! 現代ブックデザイン考」。
祖父江慎と松田行正のための展覧会と思えるくらい,とにかくこのお二人の手による本が目立つ。個人的にはやはり松田さんで,牛若丸はもちろん,獄本野ばらの著作(こんな機会でもないとマジマジと手に取ることのない類ですから)や,多摩美術大学メディアセンターのカタログなどを細部まで舐めるように眺める。
牛若丸についてはほとんど持っていたんだけど,取りこぼしていたなかで今回実際に手にとってみて強く惹かれたのが『MINERALIUM INDEX』。コンピュータでレイアウトした後,それを活版で再現。とにかくその印圧の強さがハンパじゃない。なぞる指の腹に感じるその窪みはちょっと悦楽的ですら。
帰りはやっぱり神保町経由。先週開店したばかりの古本屋に今日も。棚の眺めがいいのよねぇ。
友人にadidasの「Impossible is Nothing」キャンペーンを教えてもらう。Appleの「Think Different」を彷彿とさせる色調,そしてわかりやすく訴えかけるキャッチコピーとそれに続くマニフェスト。とかく斜に構えがちな性根に響きました。
TV CMではモハメド・アリ(とその娘)がメインに据えられているけれど,自分としてはサイトで紹介されている92歳のフルマラソンランナー,Fauja Singhに断然夢中。50代60代には憧れを抱くカッコイイオッサンが大勢いたけれど,さすがに90代ではいなかったよ。
ワタリウムで川崎和男氏の講演。テーマは「ロシア・アヴァンギャルド – デザインの源流から未来のデザインへ」。
川崎さんの視点で捉えたロシア・アヴァンギャルドというこたえられない企画(きっかけはロトチェンコの復元されたカップ(現在ワタリウムで展示中)を川崎さんが眼にしたことからだそう)。もちろん示唆に富む話を聞けることは分かってて参加したんだけど,そりゃもう本当に刺激的。なかでもマヤコフスキーの存在再確認(詩人としてよりもコピーライターとして),マレーヴィチの「Resolution ‘A’ in Art」(ネットで調べたらイタリアのサイトがひとつ出てくるだけ。図書館行って直で調べないとダメだ),更に一応元建築野郎としてこの時代からほとんど進んでいない建築図面の表現(タトリン以外でレオニードフ,チェルニオフ,メーリニコフなど)についてなど,色々と深く知りたいところを頂く。
他にも雑学的ネタ(自分的には大ネタだったけど)としては,コーヒーカップと受け皿の容積は等しくなければいけない(これが出来ていないもの(例えば受け皿が限りなく平面に近く容積が少ないもの)はデザインとして間違っている)という話。
仮にカップを倒した際,中のコーヒーを受け皿で文字通り全て受けることが出来ないといけない。というのがその理由。となると,「受け皿」という日本語も気になるところ。単にカップを「受け」るからだけでなく,コーヒーという液体を「受け」るという意味も含まれて(もしくは後者の意味のみで)命名されたのか?(ちなみに英語の”saucer”は辞書によるとラテン語の”sal”(英語の”salt”,つまり「塩」)かららしい)。ちなみにネットでちょろっと調べたら,西欧では19世紀中頃まではコーヒーを冷ますために受け皿に移し替えて飲む人も多かったとか。その視点から考えてもそれなりの容積(その前にもちろん深さも)が必要だったことが類推できる。
どちらにしろ,自分のこれまでの生活習慣の中では受け皿を眼にすることが少なかったこともあって(今じゃマグカップどころかペットボトルが主流だもんな。せいぜい昔ながらの喫茶店に足を運んだ時くらいか(それすら少なくなってきてるし)),全く気に留めたことがなかった。まさに眼から鱗,これから視点が明らかに変わります。
講演終了後,外苑前の駅に向かうと聖地で八咫鴉を崇めた人々の途切れることのない青い列に遭遇。その上気した表情から自ずと結果は明らか。
What a Boom, What a Blast はコメントを受け付けていません
BBC Worldを見ていたら気になったCMが。
『Sim City』を想起させるクォータービューの景観が次から次に現れ,それが一連の流れとなってシークエンスを形成している。その柔らかい色使いもポップで上品な雰囲気。そして更にはBGMがLippsの『Funkytown』というのも映像のイメージそのもの。
ネットで調べたらAREVAというフランスの企業で,そこから視聴も可能。
Funkytown はコメントを受け付けていません
電車内でよく見かけるJTの煙草マナー広告。
言われたって分からない方々がいるんだから,何を今さら言ってんだよ。などとは考えずに全面的に応援したいのですが…。
ものすごい素朴な疑問なんだけど,マナーを呼びかける文章に日本語と共に英文が併記されているのはなぜ?。しかもその横のピクトグラム(これがまたわかりにくいんだけど,今は置いといて)内の文字はなぜ英語のみなの?。マナーのなっていない英語を母国語とした日本在住者のほうが,マナーのなっていない日本語を母国語をした日本在住者よりも多いの?。いやほんと,誰に向かってマナー向上を訴えているの?。
なんかね,こういう気分だけを表したデザイン(デザインのためのデザインと言ってもいい)って非常に腹立たしいんです。伝えるべき本来の目的を忘れて(もちろん確信犯だとは思うけど),ただ私達はちゃんと考えていますという態度を取りたいがためにやっているとしか思えない…(それともこちらがひねくれすぎ?)。
ピクトグラムを使用しているのも無意味に表現を柔らかくした偽善ぽさが滲み出ててさ(ピクトグラムという表現手法が現実そのものじゃないなんてのは当たり前だから言いっこなしね)。例えば「たばこを持つ手が子供の顔の高さだった。」と本当に言いたいんだったら,現実にサラリーマンあたりが街を歩き煙草してさ,その煙草が子供の眼にぶつかる寸前(実際にぶつかってても全然オッケーですよ)を撮影したものを使ったらいいでしょう。それを子供の身長と同じ高さの煙草を縦に立ててさ,だから何なの?。これで本当にその危険性に気づくの?。
各所で触れられている秋葉原ヤマギワソフト館の火事(kakaku.com)。ちょっと気になることがあったのでジム帰りに行ってみた。
今回火が上がったこのビルは名前の通りCDやDVDを扱う店舗なんだけど,その入り口とは別,大通りから入った横の路地に面して倉俣史朗がインテリアを手がけたカフェPiacereが入っている。CDやDVD売るのに火は関係ないだろう(休憩室とかはあるだろけど),ということはまさか火元?(そうじゃなかっとしても延焼している可能性も考えられる)。
すっかり暗くなっていて,またその横の路地が封鎖されていてカフェ正面から眺めることも出来ずと正確なところは把握できなかったものの,少なくとも火元ではなくまた店舗自体も焼失していなかった様子。ただすぐ隣の扉が燃えていて,また外壁にも黒く煤の跡が残っていたので,室内がどうなっているかは正直気になるところ。内装はどうしようもないとしても,椅子やテーブルは無事運び出されたのだろうか…。
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銀座にて「注連縄 – 豊穣を招く渦」のセミナーを堪能。久しぶりにそのお姿を拝見した杉浦康平氏(師),そして森須磨子氏に心から感謝。
特に森氏からは望外の力を頂いた気分。こういう人がいるから日本はまだまだ捨てたもんじゃないと思うし,また自分も安っぽい厭世観に浸ってる場合じゃないと襟を正さずにはいられない。
代々木・渋谷方面に出向く用事があったので,だったらついでにと上原のあの店へ。想うところは色々とあるけれど,とりあえず1・2・3がブリスターパックになっていて驚いた(今年の秋頃からだとか)。
しかしそれよりも,その店へ向かう道の先にそびえ立つ尖塔に釘付け。近づくとその下には見事なイスラム建築が。存在は幾度となく聞いていたけれど,ここに建っていたのね。ありがとうあの店,おかげで思いがけず素晴らしい体験をすることができました。
中に入ると(基本的に誰でも見学可),まずはギャラリーに多目的ホール。壁・扉・家具(暖炉・棚・ソファ…)・照明・磁器・マーブル画…,それぞれに顔を押し付けるようにして幾何学文様とカリグラフィのディテールを堪能。
そして上階の礼拝室(メインドーム)へ。
心から帰依する宗教を持たず(とは言いつつ,多くの日本人がそうであるように無自覚な仏教寄りなんだろうけど),また更に言うならば,宗教が人類に与えた最大の教えは「争い」だと思っているくらいの人間ですが,殊,宗教美術に関しては全ての宗教に畏敬の念を抱く気持ちがありまして。で,初めて目の当たりにしたイスラム教建築の空間にただただ呆然。6本の柱で支えられた中央の大ドームと,その柱の間を埋めるように配された6個の半ドーム,カリグラフィになっている中央のシャンデリア,透かし彫りの石で作られた説教壇,螺鈿細工が施された扉…。ストラホフ修道院以来,その空間に身を置いただけで膝が震えて動けなくなる(そして図らずも,PC販売兼宗教団体の最大の失敗は,完全なる美的感覚の欠如だということも再確認してみたり)。
M.C.エッシャーの昂奮がちょっとだけわかったようなひととき。お努めの方に訊ねたところ,絵を描くこともオッケーということなので,スケッチブックを持って再び訪れますと伝えて辞す。