如月朔日五回目
今年と同じ、デロールが火事で燃えた5年前の2月1日も金曜日でした。
この記事を書くためにブログを読み返すと、2011年から今日2/1にデロールのことを書き始めていました。
・20120201:如月朔日四回目
・20110201:如月朔日三回目
その都度、新しい発見があったように、今年もひとつの記事に出会いました。
火事から半年が経った2008年11月14日に書かれた、ニューヨーク・タイムズ。
・20081114:NYTImes.com “From Ashes, Reviving a Place of Wild Dreams”
初めて知ったのは、フランス軍との関係。
煙の匂いで火事に気がついたのは、パトロール中のフランス軍兵士であったこと。更に焼けてしまった剥製や什器などの保管場所として、軍が施設を提供したことなどが記されています。
軍だけではなく、多くの人々に愛されていることもまた。
デロールのオーナー、Prince Louis Albert de Broglieの言葉を記事から引用します(簡単に訳してみました)
“Deyrolle was the place in Paris you’d first come as a child, then later bring your friends, then your fiancée, then your own children and your grandchildren,” Mr. de Broglie (pronounced duh-BROY) said. “How could people close their eyes and let it disappear? It would have been impossible.”
“デロールは、パリの子供が初めて訪れる場所。その後も、友達を連れて来る、フィアンセと来る、自分の子供と来る、孫と来る場所。目を閉じて、デロールが無くなるがままにすることは不可能だ。”
この言葉を辿るように文章は続きます。
文化大臣がフランス各地の美術館に古い木製陳列ケースをデロールに寄付できないか声をかけた。エルメスがチャリティのスカーフを販売した。更には、あるフランス人女性は蝶の標本を50箱寄贈、またあるフランス人男性は、デロールで数ヶ月前に購入した雄牛の頭を店に返すことで寄贈としたなど、市井の人々の行動も語られています。
他にも、ニューヨーク・タイムズらしいところでしょうか、デロールのためにアメリカ税関の目をかわす話や、オレゴンの博物館キュレーターのエピソードなど、デロールとアメリカのエピソードなども。
自分の行動が気になり、2010年より前に火事について触れていたのかと辿ってみたら、火事から半年後に初めてお店を訪れた日のことを、関心空間に書いていました。今、読むと恥ずかしいものですが、それでも何でも書いておくもんだなと思わずにはいられません。