Archive for the ‘日記’ Category

8
6月

Brazil?

   Posted by: fumi

こんな地下鉄だったとは,全くのノーマーク。

何処までもシンメトリー。コンクリの壁面も『未来世紀ブラジル』みたい。乗り換え駅ではホームが直行,その壁面の交わる部分の収まりがまた素晴らしく。

俄然,楽しくなってきた。

 

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5
6月

Gotham

   Posted by: fumi

中心部へと向かう電車内,向かいに座るビジネスマンが読む新聞の背に,デヴィッド・キャラダインがバンコクで遺体となって発見されたという記事を見る。

どことなくふさわしい,そんな旅の始まり。

 

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17
5月

おがれ

   Posted by: fumi

最後にあの泥と水に触れたのは高校生の頃だったか。週末に帰省して田植えの手伝い。

多少の道具の変化はあれど,人手のかかることには変わりはなく。親族八名,家長の指示に従いて,根っこ運びと植えに分かれて黙々と。段取りをすっかり忘れ,最初は所在なく指示を待つだけであったが,動かす体は何かと覚えているもので。

夕刻,作業が終われば,やることはひとつ。無事を祈願してあげた神棚のお酒を頂けば,あとは無礼講。家長のアルコールを含んだお国言葉はネイティブの我が耳をもってしてもヒアリングが困難。ならばと,分からないのをいいことに,こちらも滑らかになった口で放言。

二日酔いのままでの帰京の手土産は親の手と足による山の幸。わらび・ぜんまい,しどけ・あいこに山うど。お米しかり,子供時分から当たり前に口にしていたもの。だからこそ,いつまでも。まだまだ覚えなければいけないことばかり。

 

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11
5月

口ほどにものを言う

   Posted by: fumi

三年連続で雨に降られた五月満月祭にそんなものだと納得しつつ,足を運べなかった今年は晴天に恵まれたという話を聞くと,また色々と想うところもあり。

人も少ない終電の車内。俯いてのまどろみの中,降りる駅の一つ前で前方に座る人影を認める。それとはなく眺めると,20代前半と思しき金髪の西洋人青年。胸の前でニンテンドーDSに興じるその奥のTシャツに「ZTT」のロゴ。あれほど車内で話しかけたい衝動に駆られたことはないかもしれない。

帰宅後,iTunesで何を聴いたかは言うまでもなく。

 

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13
4月

( )

   Posted by: fumi

せっかくの上方。落語のひとつも聞かずには帰られないと,不慣れな大阪の地理をiPhoneに頼り(乗換案内とgoogle map様々)中崎町へ。

笑福亭たま「ナイトヘッド~第2章」

師匠・福笑譲りのオーバーアクションと張りのある(時にはありすぎる)声。やっぱり好きだわ。期待のショート落語では枝雀「SR」との比較も語られ,その味わいの違いをじわりと感じる(サゲの後,すぐ笑いが来ずに不思議な余韻が残る)。

帰途,日中の酷使に音を上げてiPhoneのバッテリが底をつく。

素手で戦うには梅田の地下街は広すぎた。

 

12
4月

不在の在

   Posted by: fumi

6月に期限の来る国立博物館年間パスポートのスタンプ空白が3つ。これはさすがに東博だけでは賄いきれないと思っていたところに,降って湧いた上洛の機会。それならば,せっかくだからと更に南下。

奈博「国宝 鑑真和上展」。

静かに坐す鑑真和上の閉じた瞼の内を見つめていると,この世界には音というものがそもそも存在していなかったかのような幽寂感。暫しの時が流れ,我に返るのは自らの足音。左右に廻り,それぞれに異なる表情も拝顔。紺紙金字好きにはたまらない法華経も食い入るように。

帰路,依水園・寧楽美術館を経て興福寺。
国宝館にて阿修羅像の不在を守るのは,ガラスケースの横幅一杯に並べられた板彫十二神将像中の八神。普段は二から三神ということで,初めて見るものも幾つか。「留守は俺達にまかせとけ」と言わんばかりの闊達な姿態にも自然と笑みがこぼれる。

とは言え,あるべきところにないものへ馳せる気持ちも拭い切れず。不在ゆえに,その存在を強く想うのは人だけに非ずということか。

上野で逢ったら,八神の頑張りを伝えよう。

 

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2
4月

付き纏う四四

   Posted by: fumi

時計はそれほど見るほうではない。
日に幾つも開始・終了時刻を気にするような過密スケジュールで動いているわけでもなく,またひとたび物事に集中したら脇目を振ることなく没入出来る性分でもあり。

朝にメールチェックで覗くiPhone,昼に仕事で眺めるPCモニター,夜に佇む乗り換えの駅ホーム。それでも,何かの拍子に眼をやると,日に3度4度は決まって44分の表示。秒まで表示されるデジタル時計では○○:44:44ということも時には。

ぞろ目が記憶に残りやすいのかと思えども,だからといって11分や55分に出会ったことは意識になく。さりとて”4″という数字を忌み嫌う日本人的な感覚から来るものだとしたら,42分や49分に遭遇したことも少しは覚えていても良いのにこれまたさっぱり。

ここから数の神秘を探りに行くのも嫌いではないけれど,せっかくだから明後日まで待ってみようか。それまではバースやブーマーのデカイ背中を思い出し。

 

22
3月

口からお出迎え

   Posted by: fumi

材木町でバッケの芽吹く庭を眺めながら珈琲を飲み,紺屋町では酒屋奥のテーブルで地元の好々爺呑兵衛さんとコップ酒で方言放言。

知らなかった盛岡。

 

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21
3月

人,遊びと戯れる

   Posted by: fumi

お彼岸も墓参を終えると,それなりに時間も自由。
ならばと,手持ちのフリー切符を活かして杜の都へ。

お目当ては県美術館に建ちあがった「工場と遊園地」。webサイト「未来派図画工作」,また『Quartz Composer Book』の著者でもあるwowlabの鹿野さんが携わっていると聞けば足を運ばずには。

プロジェクタで投影されたモノクロの工場と遊園地。一見すると暗く,またその対照的な組み合わせから皮肉なものも喚起させられそうになるが,そのイメージは工場から排出される色鮮やかな球体によって大きく覆される。それらは人の影に反応し,様々にその形を変えていく。

球体と無邪気に戯れる子供達の姿が印象的。大きな玉をテニスのボレーのようにやり取りしたり,シャボン玉をヘディングで更に小さく分裂させてみたり。技術と遊びの幸福な関係のひとつ。影絵の世界で見る白昼夢。

夕刻,北上して日本有数の花火の町。全国の花火業者が集い,冬のスキー場で新作花火発表会。

新作と銘打たれているだけに,伝統にとらわれず,また見た目にも遊び心に溢れたものが次から次に。なかでも会場から一際,大きな笑いの起こったのが「アフロヘア」。顔の輪郭と笑顔の表情が線描された後,頭部のラインに沿って黄金色に輝く小さな光がモシャモシャっと。それはさながら,冬の夜空に輝く石立鉄男(笑)。

打ち上げも半ばを過ぎて見上げる首も痛くなってきた頃,ふと伝統花火と新作花火の関係が古典落語と新作落語の関係に近いのではと。そういえば,掛け声も似たようなものだしね。

審査の結果,アフロヘアは最高位の金賞に加え,特別賞も二つ受賞。こうなると,久しく足を運んでいなかった夏の全国競技大会も俄然,気になってくる。今年からは花火も人で見ることになりそう。

 

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22
2月

裏を返す

   Posted by: fumi

昨年と同じ大会で二度目のフルマラソン。

事前の練習不足を考えれば,記録更新など馬鹿げた目標であることくらいは自覚。パンダやゴーヤに扮したコスプレランナーや沿道のおばぁから頂いた黒糖や梅干などをデジカメで記録しつつ,「戻ってきたなぁ」と感慨にふけりながら6分00秒~30秒/kmのペースでゆっくりと。

しかし,身体は想像以上に残酷なもの。己の甘さを直視せよとばかりに,米軍基地ゲートを出たところで両のふくらはぎが同時に攣る。そこからの残り10kmは記憶も朧気。ただ俯いて歩くことしか出来ず。

「最後なのに何で走らないんだよ!」

ゴール間際,オリオンの缶ビールを手にすっかり出来上がった西洋人グループから怒声が飛ぶ。

「足が攣って,もう走れないんだよ!」

叫びながら近寄り,ビールを奪い取って乾いた喉に音を鳴らす。この小さな蛮行が気に入られたようで,お代わりのビールに乾き物,果てはソーキそばまでふるまわれ,10分ばかり完走前祝いの宴。これだから,この大会はやめられないのかもなぁ。

痛みで震える足を千鳥足で更に震わせながら,昨年から1時間以上遅れ,5時間をちょっと越えるタイムでゴール。悔しさ楽しさ相半ば,また来年。

 

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